在日朝鮮人コミュニティがあるから、子どもたちが安心して表現できる
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それから学生美術展の審査が徐々に変わってきました。
今のウリハッキョの授業は、教員が一つのポイントを投げると、子どもたちがそれぞれいろいろな発想をして、自分の作品を作るためのいろいろな材料を選択し、いろんなところを飛び回るという拡散型です。絵で表現する子どももいれば、立体で表現する子どももいます。そうしてそれぞれの目標に向かって拡散していく、それが今のウリハッキョの美術授業です。だからみんな違うのです。
金でも授業としては、今日は写生に行きますよとか。
朴だから写生は少ないです。風景画はほとんどありません。ものを見て描くということ事を余りしません。ポンと点(テーマ)を投げかけるのです。点の与え方は教員によって違います。それを受けて子どもたちがそれぞれに発想をめぐらし、それを表現するためにいろいろなカードを体験させるのが授業です。こういう材料を使うとこういう表現ができるとか、こんな効果が出るというのを体験させるのです。自分の発想を表現するためにあのカードを使おうとか、このカードにしようとかは子どもたちが選ぶ。
金カードの使い方を一律に教えるということはないのですか?
朴子どもたちが表現するときのカードの示し方は教員によって違います。
金「今日は紙粘土で動物を作りましょう」という授業ではない?
朴そういう授業ではありません。そういう授業をしている学校もあるとは思いますが、展示会を見たらわかるように、皆バラバラです。展示会の作品はみな一学期の授業で制作したものです。一学期のうちにどうしてこれほどバラエティーに富んだ作品が出たかというと、もちろんそれまでのいろんな体験の積み重ねなのですが、決して一律的なものではありません。
金具体的にはどんな授業なのでしょう?
朴今は高校の授業しかしていませんが。いろんな材料で遊びなから体験させて、いろいろな表現手段があることを学んだうえで、例えば「見えるモノ、見えないモノ」と提案すると、いろんな事、モノ、場面が想定されるじゃないですか。それを自分の好きな表現方法で表現するのです。
金例えば今、私が自分の発想を表現しようとしてもどう表現していいかわからないのですが、子どもたちは初級部のころからそういう授業を受けているということですね。
朴そうです。去年の初級部一年生の絵に「入学式」という絵がありました。白い画面にドアが一つあって、赤いものが散らばっているのです。抽象画に見えるくらいきれいな紙吹雪なのです。入学式で扉が開いた瞬間に紙吹雪が舞った風景なんでしょうかね。その時の気持ちというか、感情を表現するという授業を一年生からしているから、大したカードはなくても表現できるんです。
金いろいろな子どもたちの自分なりの表現を支えるために、教員はカードをいっぱい持っていなきゃいけない、教員たちのレベルが問われますね。
朴でもそれは方法論で、いくつか持っていれば大して難しいことではない。ただ表現するということは楽しいし、うれしいし、面白いよということを実感できないと、子どもの作品を見て「かっこいいな」と心から実感できないと、教員として難しいと思います。
金じゃあ、翌日の美術授業の準備物はどうするんですか?
朴初中級学校はどうなんでしょうかね、今教えていないのでわかりませんが、高級部では僕が準備します。足りないときはほかのものを代用して、次の時間までに準備するようにします。
授業の仕方というのは教員によって違います。生徒たちが、何か点を与えられてそこから発想したものを、自分たちのやり方で表現すると言うことは共通ですが、一貫してこうしてああしてというような公式はないと思います。
ただ集約型の授業に対して拡散型の授業というのは大変やりにくい授業です。統率も効かないし。ところがウリハッキョの場合は少人数で、一人一人に目が行きます。遊びからいろいろなことをするというやり方で、生徒と教員の距離が近いというのを利用して、そういうことができていると思います。
金出品作品が一万一千点以上に及ぶということですが、いつごろから一万を超えるようになったんですか?
朴一覧表を今持っていないのですが、一〇年ほど前からですかね。「学美」というのはネットで検索するときに、便利でコンパクトな名前ということで、使うようになった名前です。そう呼ぶようになったのもこの十年くらいだと思います。