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見えない存在にならないように
金朝鮮学校を見ながら感じることは?
こうのすけ思うことはいろいろあります。まず、最も重要な朝鮮語教育が相当成果を上げていると思います。朝鮮語による普通教育という、ある意味、理想的なカリキュラムが組まれているからです。
ジェンダーの観点から考えると、なんで女の子だけチマ・チョゴリの制服を着るんだろうかと。実は僕は、チョゴリ自体は大好きなんですよ。改良韓服のパヂ・チョゴリも何着か持っています。着やすさ・着心地抜群です。僕自身は日本の着物は着たことないのに。
九〇年代にパチンコ疑惑・核疑惑等でチョゴリを来た女子生徒が嫌がらせのターゲットになったときにいろいろ議論になりました。落合恵子さんはこれを受けて、民族とジェンダーと子どもの三重の差別を受けているといっていました。でも子どもたちは好きでみな着ているし、それはいいんだけど、第二制服までできて、保護者の経済的負担は大きいだろうなと。日本社会の環境改善の上、もっとフリーな学校になればいいなと。
ほかの外国人学校をみていると、中国語を学ばせたい、ITと英語学ばせたいということで中華学校、インド学校にどんどん日本人の子どもが入っています。横浜の中華学校は定員がいっぱいで、入学を断っているといいます。
朝鮮学校は朝鮮語が学びの核だから、将来の日朝国交正常化・南北統一ということを考えたらビジネスチャンスだってあるし、植民地主義から脱却したうえでのお付き合いというのをこれから考えていかなきゃいけないから、そういう意味で朝鮮語ができる人が必要でしょ。日本の場合はそういうことが仕事になると思っていないから、やらないわけですよ。
日本人で自分の子や孫を入れたいと言っている人もいるそうです。実際、僕も自分の娘を朝鮮学校にと考えたこともありました。また、児童・生徒数が減る中、保護者の中にも日本人の受け入れをすればいいのにと考える人もいるそうです。その時の学校側の答えは「ここは朝鮮人を養成する学校なので、日本人のお子さんが来られたらつらいですよ」と。
誰が受けても、つらいような教育をしてはいけないでしょう。歴史についても客観的にやればいいわけで、歴史修正主義者や極右のみなさんが「反日」教育といっている、揚げ足を取られそうなモノではダメなわけで、日本人の子どもも大いに過去の歴史に学ぶべきでしょ。中華同文学校の卒業生が言っていたように、南京大虐殺だとか言ったら日本人の子どもがしんどいから、詳しくやらないというのでは困ります。
また、言語教育的にみると、九〇年代初頭に東京朝高と大阪朝高に二人ピョンヤンから教員が来て模擬授業やったことあったでしょ。将来的には日朝国交正常化して本国からの派遣教師がきてほしいし。
アメリカの植民地ハワイでの取り組みを見ていたら、ハワイ語で授業をする学校ができている。そういう試みを盛んにやっていると聞きました。やればできるんだなと。日本ではどうしてマイノリティの子どもたちが自民族の文化に触れる機会を大切に育まないのかと。アイヌもそうだし、沖縄でも危機感を感じている人はすごく感じている。標準語と両方尊重すればいいんです。日本語と朝鮮語も両方できればいいし。維持運営は大変ですが、今の朝鮮学校を見ていると、子どもたちを中心にして、親と教員と地域の同胞の人たちとの距離が非常に近くて、アットホームでこじんまりしていていいなと思います。
金在日朝鮮人の立場から言うと、あまりにも日本社会からの圧力が強すぎる。抑圧が強すぎて、加害と被害という構図があまりにもはっきりしている中で、朝鮮学校をオープンにして日本人の子どもを連れてきて一緒にフェアに学ぼうよという環境を作るのは非常にむずかしいと思います。
こうのすけ大阪府茨木市に、朝鮮学校でも韓国学校でもないコリアンの学校をということで開校八年目を迎えたコリア国際学園があります。ここもいろいろ課題を抱えていますが、うまくいっている部分もあってね。日本人のほうが圧倒的に少ないんだけど、朝鮮人と日本人の子ども同士が、一緒になって学校生活を送っています。
特別支援学校(かつての養護学校とか盲学校とかろう学校)が相変わらず、普通学校と別々でしょ。地域の普通学校に通えないという問題があって、障害者がいないわけじゃないけど、健常者にとって友だちになる機会はないという。でも助け合って生きるしかないのに、別の存在、見えない存在にされて、いないことになっている。
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