日本人として朝鮮学校に向き合い 社会の閉塞感を変えていきたい
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京都では「ミレゼミ」講師
東京では「サランの会」
金朝鮮学校の生徒に接しながら、日本の子どもたちや学生たちと違いを感じますか?
竹どうでしょうか。違うと思ってみていないので。最初は在日朝鮮人社会を何も知らない状態で、僕が質問ばかりしていました。例えば朝鮮学校で何を教えているのかも全く知らなかったわけです。だから一緒にご飯を食べながらあれこれと聞いたりして、向こうも変な日本人だなと思っていたと思います。ほかの人と順番が違ったんですよね。朝鮮学校に関心があって学校に来られる人が多い中で、僕は最初に朝鮮に行ってそこで朝鮮学校の生徒や学生たちと仲良くなって朝鮮学校を知ったわけで。でも僕はその順番でなかったらここまで一生懸命になれなかったかもしれません。最初に東京第一初中の「ウリゼミ」に行った時も日本人で運営メンバーに入れていただいたのは僕が初めてでした。「ミレゼミ」もそうですが。僕は、日本人が授業をやると生徒たちはどう思うんだろうと考えたり、生徒たちも最初は日本人ということで警戒したりして。でもだんだん仲良くなると、そこからは変な日本人ということで受け入れてくれているようです。
東京第九初級のサランの会でもどこまでハッキョに入れるのかわかりませんでした。
金朝鮮第九初級のキャンプはどうでしたか?
竹印象的なことがいくつかあって、キャンプに行っても学校の行事なので先生たちはウリマルを使うように指導しますよね。僕も指導で行っているのでそれを横で聞いているんですが、でも時々出てこない言葉がある時に朝鮮語の間に日本語の単語を当て込んで話すと、児童に「竹田ソンセンニム、イルボンマル!」って指摘されて「ミアナムミダ」と謝っていました。そこまで受け入れてくれているんだというのは感じます。
金楽しかったですか?
竹そうですね。すごく楽しかったですし、「少年団」がどんなもので、それがどのように変わって来たのかというのは先生によって解説も違いますし、児童たちにその意味をどう伝えたらいいのかはよくわからなかったのですが、「少年団キャンプ」は、チームに分けて模範的な児童やチームをほめるという面では他の行事と同じかなと思いました。人数が少なくてアットホームな感じでした。今の児童たちは真面目というかふざけないというか、様子を見ているというか…。
金悪さをしないですよね。
竹しないですね、ぜんぜん。逆にこっちをよく見ているように思います。夜、灯りがなくて怖いから寝られない児童がいたり、高学年の時ってこうだったかなと思いながら参加していました。
始めてハッキョの行事に泊まりで参加したのは第九のスキー教室だったのですが、今の子どもたちはバスの中で日本のアニメを見たりするじゃないですか。それも最初は意外で、朝鮮語で映画を見たりしているのかなと思っていたんです。そういうところは昔からそうだったのかはわからないのですが。
後はキャンプのしおりにキャンプで使う朝鮮語が載っていたりするんですよね。飯盒でご飯をたくというような内容が対訳で載っていたりして。キャンプも言葉を習得する場なんだなと思いました。イベント一つひとつにそういう機能もあるのだなと。
日本語が母語でハッキョに入ってから朝鮮語を習うというのは知っていましたが、授業で習うだけなのかなと思っていたところがあって。行事すべてが学びなんだと認識を新たにしました。ただ、「グツグツ」煮るとか「くるくる」回すとか擬態語や擬音語だけなぜか日本語でその境目がどこなのかというのは気になりました。どこからがハッキョの中のウリマルなのか。ある社会学者の論文で、朝鮮学校には「日本語のごみ箱」が置いてあって、それに入れた言葉を朝鮮語に直して覚えるというのを読んだときにはちょっとショックでした。昔のやり方なのかなと思ったりしたのですが、今の子どもたちはどう言う感覚なのか知りたいと思っています。今もハッキョによってはそういう「装置」が残っているのかもしれませんし。
ハッキョによって雰囲気も違いますからね。例えば東京第九では日本人支援者たちの「サランの会」が長い歴史を持っていますが、東京第五に日本人支援者が入っているという話はあまり聞いたことがありません。地域の歴史によっても異なるのだろうと思います。第九でスキーに行ったときにスキー場で東京第四の児童生徒たちと会ったのですが、第四の子どもたちの中に一緒に平壌を訪問した生徒がいて、私が一緒にスキーに来ていることに驚いていたという話を聞きました。(笑)
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