読者批評
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もくじ
雑誌作りに生かします! 読者の皆様のご意見お待ちしています。
「朝鮮」への偏見、押し倒すようなベストアンサーを
金敬淑・群馬県在住
例えば、朝鮮学校の運動会に近所の日本人の人も参加する。そんな『未来』を望みます」
33号の六〇ページ上段に記されたこの言葉に、胸がいっぱいになりました。鳥取大学の学生が岡山朝鮮初中級学校の運動会に参加した感想を、こんな言葉で締めくくったのです。なんて素敵な光景だろう。でも、君の語った「未来」は岡山ハッキョではもう描かれ始めている。君たちが、参加した。
おととしの学生芸術競演大会で横浜ハッキョの子供たちが歌った「胸を張って歩いて行くよ」に、まさにそんな思いを歌ったフレーズがありました。「もしもウリナラが統一したら、もしもお隣さんが仲良しだったら、どんなに心強いだろう、どんなに笑顔が溢れるだろう」。最初、この歌詞を目にした大人の中には「そんな、ありえない、バカみたいなことを…」と嘲笑う人もいました。でも、横浜ハッキョの音楽の先生と児童たちはその嘲笑が恥じる程、凛と高らかに歌い上げ、「諦めかけてしまいがちな大人たち」の心に喝を入れてくれました。
子どもたちが暴言や偏見にさらされる原因は、祖国の分断と日朝関係。せっかくの可愛いチマチョゴリを学校の中でしか着られなかったり、「朝鮮学校」の「朝鮮」という部分を濁してしまったり。そこの所を大人がどうにかしなければならないのですが、その為には偏見に負けないくらい強烈な「善」と「情」とポジティブ思考で堂々と胸を張って「朝鮮学校(ウリハッキョも良いのですが、今は敢えてこう呼びたいのです。)」を見せびらかすべきなんだと、岡山ハッキョ運動会が教えてくれていると思いました。
同じコーナーで批評を書かれている張慧純さんも地域交流について書かれていましたが、私も同じように「○○ちゃんのお母さん、北朝鮮だったんだ~」発言に見舞われたことが何度もあります。こんな時、どう返せばよいのか? という意見交換って、私たちの中で意外とあまりされていなくて、ただ「あきれた」とか「勘弁してほしい」とか、「頭が真っ白になってうまく答えられなかった」で終わってしまっている気がします。
日本政府に都合よく「悪用表現」されている私たちの「朝鮮」への偏見を押し倒すようなベストアンサーを見つけて共有していく―かなり心強いものになると思います。そんな企画、どなたか力を持っている方、お願いできませんか? 「偏見撃退実例集」とか、みんなの体験や成功例を分かり易く「見える化」する。いかがでしょう?
少人数学校だからこそ、できることを
張慧純・東京在住
一一月はじめ、東京都内の朝鮮学校で低学年児たちのバスケットとサッカーの大会があった。会場には、茨城・水戸の教員や子どもたち、なかには仙台在住の保護者の姿も見え、(子どものためにこの遠路を…)と感心した。茨城朝鮮初中高級学校の学区にあたる北関東、東北の初級部生たちは、セッピョルチームを結成し、定期的に集まってサッカーをしている。遠路の運転や食事…その時々のサポートを考えても、関係者には頭が下がるばかりだ。『朝鮮学校のある風景』33号にも、中大阪、南大阪、和歌山の三校の朝鮮学校が合同チーム「カンソン」を組み、 切磋琢磨している記事が載っていたが、「同胞が多いと言われる大阪でさえも、学校の存続に不安を感じている同胞は多数いる」との下りに、少人数制の学校はどこも、「可能性を探ろうと必死だな」と感じた。
わが家も、地域の少人数クラスに学んでいるので、似たような少人数制の学校がどのように日々の学習や生活をサポートしているのかは、関心を持ってきた。
少子化は日本の学校でも進んでおり、隣町の日本の公立小学校では、児童が私立に流れる現実をどうにかしようと、話しあいを続けている。そこで話された小規模校のメリット、デメリットを見ると、「何をどう生かすか」についてヒントが見えることがある。
例えばメリット。学習面では、児童一人ひとりの個性や特性に応じた教育活動がしやすく、個々の能力や適性を伸ばしやすい、生活面では、児童生徒が互いによく知りあえ、全体の児童・教職員の一体感が深まりやすい、子どもたちが学年を超えて、上級生が下級生の面倒を見るなど、異年齢交流が深まる…など。一方のデメリットは、集団規模が小さいので学習そのものの成立が難しい、学級のルールや価値観が固定化され、児童自らが新しいルールや学校文化、人間関係を作りあげる機会が少なくなる…など。どの意見にも先生や保護者の試行錯誤がにじんでいたように思う。
私が小学校を過ごしたのは三〇年前。初めてわが子を朝鮮学校に送り出したとき、人数は一〇分の一に減っていた。通わせた今となっては、「できないことよりできることに目を向けよう」とスイッチが切り替わったが、はじめは一桁の新入生に驚き、なんせ寂しかった。
子育ては終わりなき旅。打ち寄せる波のように課題にぶつかるたび、数が少ないから、ではなく、「少ないからこそ、できることを」と原点に戻る。一方で、仕事量が一向に減らない先生たちを見ながら、教育環境を取り巻く構造的な課題もどうにかしなきゃ、と思う。
知る限り、男子四人の初級部五年生は、他に二校ある。それぞれの学校で試行錯誤があるだろう。二校中、一校は校長先生が担任で、その先生が発信するフェイスブックページを開くと、元気いっぱいの五年生の姿がちらほら。その姿を見るだけでホッとするから不思議だ。五年生になり思春期に突入した感。成長につれ、紆余曲折を経ながらも、さまざまな出会いと関わりの中で成長を遂げてほしい。
数ヵ月前、本校に講演に来てくれた北海道朝鮮初中高級学校の藤代隆二先生は、朝高のサッカー部員ではチームを組めなくなったものの、FCフォルテというチームを立ち上げ、今やチームが一〇〇人を超える生徒たちでにぎわっていると話してくれた。一度は不登校になった日本の生徒さんも来ているとのこと、元気の出る話で、「朝鮮学校の価値をいかに発信するのかが大切だ」という言葉が印象深かった。
あと四ヵ月で春の入学式。民族教育に目を向けてもらうには何が必要だろうか。
朝鮮大学の学生が「感じた」、『朝鮮学校のある風景』
巻頭インタビュー・鄭秀容さん(中央教育会顧問)
(33号・5~20頁)
李昂樹・外国語学部三年
この雑誌で描かれているものは、まさに「朝鮮学校のある」暖かさと愛に溢れた私の大好きな「風景」でした。
特に印象に残ったのは、巻頭インタビューでの鄭秀容さんによる「朝鮮学校の教育権利勝ち取って次世代に民族の言葉、歴史、文化を」という記事と呉享鎮さんによる「4・24教育事件」の記事です。これらを読みながら、胸が熱くなりました。先代の方々が差別と弾圧の中で命を賭してでも、ウリハッキョを守り抜いてきた。だから今も「朝鮮学校のある風景」があり、私自身も朝鮮人として生きられるのです。
また、自分のハラボジ[祖父]の事も思い出しました。私のハラボジも一世の同胞です。ハラボジは自分の人生を一冊の本にして、私にくれました。私の宝物の一つです。その本を読んだ時にも、今回の記事を読んだ時にも思ったことがあります。それは一世二世の方々の言葉を聞いて、その歴史を胸に刻み、継承していくことがとても大事だということです。
呉享鎮さんは記事の中で「『命を賭しても民族教育を守り抜く』という4・24教育事件の精神を決して風化、劣化させてはならない。代を継いで永遠に継承しなければならない。」と述べました。この雑誌を読んで、私自身も先代たちの魂(ノッ)を受け継いで、これからもずっと大切な「朝鮮学校のある風景」を守っていきたいと強く思いました。
「マッカーサー執務室で振り返る4・24教育闘争」
(33号・21~36頁)
柳民碩・外国語学部三年
初めて『朝鮮学校のある風景』を読ませていただきました。こんなにも同胞社会の愛や熱をリアルに感じられたものは初めてでした。
中でも一番印象に残っているのが「4・24阪神教育事件」です。今まで何度もこの事件については学校で習っていましたが、いまいちその事件をリアルに感じられずに分かったつもりのままでいました。しかし今回この文章を読んでみて今自分たちが当たり前のように学校に通い勉強していることが今まで同胞たちが後世のために闘い続けてくれているおかげであることを再認識しました。
まだ十代の世の中のことを何もわからない学生の目の前で武器を持った日本人やアメリカ人に先生たちが連れていかれるということはどれほど恐ろしかったであろうか。今こうして想像をするだけでも鳥肌が立ちます。しかしこのような抑圧に屈せず闘い続けた同胞たちが、どれほど強い民族愛を持っていたのか。この文章を読むだけでその愛をひしひしと感じられ、その同胞たちと同じ民族であることを誇りに思います。
時代が流れこのような過去を想像することしか出来ない現代の学生は、自分たちの歴史から目を背け、今受けている差別からも目を背け、だんだんと日本社会に同化していっています。そんな中で祖国解放直後の日本を経験した「最後の世代」の声を聞くのはとても重要なことだと思いました。そして新しい世代の私たちはそのような声をしっかり受け止め今の同胞社会の発展のために貢献し、そしてまたその声を後世に伝えてくのが私たちの使命である事を再確認しました。
朴春希・外国語学部三年
4・24阪神教育闘争について、ある韓国人が感じたウリハッキョ、現役朝大生が選んだ漢字一文字、チョーデーLIFEを読みました。
4・24阪神教育闘争については、私の地元が神戸なので思い入れも強く、特に神戸の朝鮮学校では、唯一弾圧される中で守り抜いたという誇りをすごく大事にしています。神戸で起こったため、神戸でどのように警察が弾圧し、教員、学生を追い出し、その学校をどのように守り抜いたのかは、民族教育を受けながらたくさん学びました。しかし、他の学校がどのように弾圧され、どのような運動を行っていたのか、全然把握していませんでした。今回この記事を読んで、他のウリハッキョへの関心をもっと持つべきだと思ったし、本当に全国にウリハッキョがあるという嬉しさを改めて感じました。
昔は多かったウリハッキョもどんどん廃校になってきています。私の通っていた明石朝鮮初中級学校も廃校になりました。最初は寂しさよりも驚きの方が大きかったです。初めてウリハッキョに向かう途中、話したことのないウリマルを一生懸命覚えていました。その時のことは忘れることはできません。そして何より、「やっぱりチョソンサラン[朝鮮人]として育って欲しいから。」と、ウリハッキョに送ってくれた両親の気持ちを一番大事にしたいです。
一世の方が命をかけて守ってくれたウリハッキョ。今度は私たちが次の世代に繋げるために、少なくなった唯一のウリハッキョを守る番です。
なくなっていく現実、それを見ることしかできなかった非力さが情けなく思います。今はもう見るだけではなく、行動できます。行動しています、しています。ウリハッキョの権利のため、在日朝鮮人の権利のため、文科省で叫んでいます。一年半後には現場に立っています。今私ができることは、権利を叫ぶこと、そして現場に立つまでにしっかり準備することです。
朝大生が今できることは何なのかを日々つきつめしながら、在日社会のためになることを積み重ねていきます。
「日本の大学生が経験した朝鮮学校~岡山大運動会」
(33号・57~68頁)
全愛美・外国語学部三年
今回初めて『朝鮮学校のある風景』を読ませていただきました。どの内容も私たちの身近なものであり、なつかしさを感じました。ウリハッキョに通う学生ならこれを読んで感じることが多いと思います。
最初から最後まで全部それぞれ印象に残っているのですが、その中でも一番印象に残ったのは、「連続レポート・日本の大学生が経験した朝鮮学校~岡山初中大運動会編~」でした。
幼稚園の時からウリハッキョに通ってきた自分にとって、日本の方たち、それも自分と同じ大学生からの客観的な意見はすごく新鮮に感じました。
今までウリハッキョに対して良くない印象を持っていたり、関心がなかったりした学生たちが初めてウリハッキョの運動会に参加して、衝撃を受けたと書いていたのですが、鳥取大学の学生たちが見た姿こそ、ウリハッキョ・同胞社会の本来の姿だし、それを自分たちが主体となって守り、これから色んな地域でそういった活動を積極的に行っていくべきだと思いました。
逆に私も、(特に幼い時は)日本の学校や日本の学生に対して良い印象を持っていませんでした。それは、同世代の日本の学生たちと接する機会が少なかったということと、偏見ばかりが先立ち、実際のところ知らないことが多かったということが原因だったと思っています。
お互いの間でのそういう考えを無くすためにも、こういった活動はこれからとても大切になっていくと思います。
この記事でのコメントの一つに、「戦争がおこったのは過去だ」というのがあったんですが、「過去だ」と割り切ってしまっては、これからお互いの関係を築く上でも、どこかで誤解や壁が生じてしまうのでは無いかと思いました。
お互いが、朝鮮と日本の歴史・過去・ルーツを知ってわかり合えた時、初めて「良い関係」を築いていけるのではないかと思います。そのためには、日本の方たちが私たちについて知ることだけではなく、私たち自身が自分たちについてもっと深く知る必要があると思います。
お互いがお互いをもっと知り、鳥取大学の学生たちが言ったように、明るい「未来」を築いていけるように、積極的に頑張っていきたいです。
「記録・私がみた無償化裁判支援」
(33号・83~92頁)
鄭扇伊・政治経済学部法律学科三年
私の朝高の三年間は、高校無償化適用を求め闘ってきた三年間でした。朝鮮大学校法律学科へ進学した私にとってこの高校無償化裁判は、もっとも身近な人権訴訟の現場にもなりました。
法律を学び始めてから改めて高校無償化問題を学んでいく中で、キーワードとなっている「不当な支配」という単語を何度耳にしたことでしょう。
そんな中で今月の「朝鮮学校のある風景」33号の愛知の無償化裁判第14回口頭弁論報告にあったある一文が強く印象に残りました。
―…朝鮮と総連とウリハッキョはしっかりとつながってきた。何が悪いんだと全面突破する裁判。そこに危険性は高い。それを様々な形で世論を変える「運動」が私たちに求められている。…―
法廷という場所で、在日朝鮮人社会で朝鮮学校がどのような学校として存在しているか、そこで学ぶ在日朝鮮学生にとって祖国=朝鮮というのはどういう存在なのかを丁寧に説明する原告側弁護団たちをとても素晴らしく思いました。
なぜ朝鮮学校と祖国と総連とのつながりが「不当」なのか。「不当な支配」だといって基準を狂わす日本政府こそが、朝鮮学校への「不当な支配」を行っているのではないでしょうか。それに真っ向から立ち向かってゆく弁護団がとてもかっこいいです!!
フレー! フレー! 弁護団!!
全国の弁護団と原告たちを力いっぱい応援します。
朝鮮大学校一年生の夏から始まった毎週金曜日の文科省前での抗議活動も、今年で三年目となり、朝大生の輪は、留学同にオモニ会のオモニ達、日本の市民団体の方たちと、本当に大きな輪へと広がっています。私は、この金曜闘争がウリハッキョの存在を日本社会にもっと知らせる運動の一端を担ってこられたのではないかと思い始めています。
私たち朝大生は、この金曜闘争の場をもっと大きく、参加した人にも力を与えられるような場にし、東京の地から全国の朝鮮学校への応援の声を響かせたいと思います。
ファイト! ファイトだ、朝大生!
「金圭蘭・平壌から『今』を伝える・第20信」
(33号・176~188頁)
李美蘭・文学歴史学部三年
祖国へ行っても見られない、平壌市民の日常生活をキュランさんの手紙によってうかがわれたのが、とても興味深かった。学校での席替えの話や、夏休みの過ごし方(プールへ行ったり、子供たちの宿題を見たり)が、とても新鮮だった。政治的な祖国を知ることも大事だが、日常的な祖国をもっと知りたいと思った。
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