朝鮮学校における教育の情報化 ⑥
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もくじ
講義動画を作成・活用して授業をしている
インタビュー:李彦司先生 神奈川朝鮮中高級学校
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スマホ普及で環境が大きく変化
金淑子情報の授業が始まったのは一九八〇年代、先生が赴任した頃ではなかったでしょうか?
李彦司そうですね。赴任したころから、コンピュータや情報について教えなくてはという声が出て、二、三年目から情報の授業が始まりました。当時は、主にプログラム作成でした。
授業が始まったころにNECのパーソナルコンピュータが普及しだして、学校にも入ってきました。それからですね、使い始めたのは。メモリも何もない、今に比べたら本当に非力なものでした。生徒たちは英文字と数字を打ち込んで実行のキーボードを押すと、画面に円が描かれたり、色が塗られたりするので、面白がっていました。一九九〇年代始めまではそんな感じでした。その後、私は一二年程学校を離れていたので。
金二〇〇五年くらいに戻られたのですか?
李そうですね。
金戻ってから、また情報の授業を担当されたのですか?
李理数科のクラスの情報授業を担当しました。今も担当しています。
金その間に、コンピュータの普及が目まぐるしく進みましたよね。ウィンドウズ95が出たのを機に。
李はい。レイアウトが変わったり、記憶容量が増大したりしましたが、基本的なことは大きく変わりませんでした。大きく変化したのは、この三年くらいです。この間にスマートフォンやiPhoneの普及が進んで、情報をコンピュータの中に記憶のするのではなく、ネット上に保存するようになりました。ラインやフェイスブック、インスタグラムなどのアプリを通じてクラウドに情報を集めて複数の人がつながるようになりました。インターネットが普及しだしたときは、必要な人同士だけが使っていたけれど、スマートフォンを使うことで知らない間にすべてがつながっています。
そうして集められた情報が、ビッグデータとして様々な形で利用されたりしています。ダウンロードするときの契約書にもデータを利用すると書いてあります。ほとんどの人は、読まないけれど同意して、自分のデータを提供しています。怖いのは、無意識のうちに利用されているということです。CPUがどうだとか、コンピュータの構造がどうだとか、そういうことは教えるのに、インターネットをめぐるセキュリティーやプライバシーの問題には、あまり触れていない。すごい速度で普及が進んでいる現実に、教科書が追い付いていないのです。気づいている教員たちも忙しくて、対応できていない。専門家の話を聞いたり、何か事件が起こったりして、やらなくてはと思っていても、それだけでは生徒に教えられません。専門的な知識が必要です。これ以上先送りにはできません。早急に対処しなくてはと思っています。
金現在情報に関する科目はどんなものがあるんですか?
李中級部では二年と三年に「情報」という科目があって、教科書に沿って週に一回、年間を通じて授業が行われます。この授業でコンピュータの基本的な構造やデジタルとアナログの違い、画像処理やワード、パワーポイントなど基本的なアプリの使い方を学びます。高校一年生になるとワードで文書作成の資格取得を目指します。高二になるとクラスが分かれて、理数科クラスではプログラミングを、商業科クラスではエクセルなどの資格取得を目指し、そうでないクラスでは美術コースと音楽コースに分かれて、それぞれの科目でのコンピュータ利用について授業をしています。
金先生が担当しているのは?
李商業科クラスと理数科クラスの情報授業を受け持っています。商業科クラスの情報授業は週に二回あります。二年間やるので、かなり高いレベルに達します。
反転授業を実践
金三年ほど前からの変化は、授業でも感じますか?
李今の高級部三年生が中級部の頃は、授業中にスマホに触れることは厳しく禁じられていました。ところが今は、調べたいことがあればスマホで調べなさいと勧めます。今ではほとんどの生徒がスマホを使いこなしています。中級部では持たせない家庭もありますが、高級部になるとほぼ全生徒が持つようになります。校内のWi∸Fiが整備され、インターネットを利用できる環境もあるので、授業でも活用できます。
これまでホームページを立ち上げたり、教育ソフトを使って教材を作ったり、インターネットを利用して生徒たちがより効率的に勉強できる方法を探って、いろいろ試行錯誤をしてきました。授業の動画を事前に学習して、その内容を基本的に知ったうえで、授業でより深く広く学ぶという反転授業を一か月ほど実践したりもしました。いまの大学二年生が高校一年生の頃だから五年前になります。動画は家で見てもいいし、通学の電車の中で見てもいいのですが、宿題をやらない生徒がいるように、動画を見ないで授業に参加する生徒がいます。その都度指導するのですが、忘れるのか、見たくないのか。あらかじめ動画を見て学ぶ方が自由に勉強できていいという生徒もいましたが、従来の授業の方がいいという生徒もいました。比率からすると前者の方が多かったです。関心を引こうとBGMを流したのですが、「BGMは集中の邪魔になる」とかいろいろな意見も出ました。本来勉強というものは静かなところで集中してやるものだなと改めて思いました。「先生の声は眠気を誘います」という生徒もいました、もう少し抑揚をつけてほしいと。
金じゃあ、その後も引き続き動画を更新して。
李いえ、反転授業はそのとき一回だけでした。動画を作るには大変な時間と手間が掛かります。教科書が変わらなくても、次の学年度には担当する教科が変わります。同じ教科を引き続き担当できれば更新していくこともできるのですが。ただ授業の動画を作成して、実際に授業で使ってみた経験は貴重でした。これはやってみないとわかりません。
金動画はどれくらいの長さなのですか?
李基本的に一〇~一五分ですね。長いのはダメです。実際にやってみて感じたのは、全科目で反転授業をするのは非現実的だということです。生徒たちは、翌日の授業が六科目あるときは、最低でも六〇分間の動画を見なくてはいけません。一度見ただけで理解できるものでもありません。それは高級部では無理だと思いました。基本は四五分授業、その時間内で基本的に解決しなくてはいけないと。四五分をいかに効率的に使うかが大切なのです。
生徒が自分のペースで
金それが五年前のことですね。
李その後、生徒の多くがスマートフォンを持つようになったので、教科書の内容で動画を作って見られるようにすればいいのではないかと思い、昨年は、中学二年生の授業で実際にそうしてみました。授業をあらかじめ作成しておいて、YouTubeにアップします。それとは別にホームページを立ち上げ、生徒たちにアカウントとパスワードを配って、各自がスマホやiPadで動画を見るのです。数学は二学期から全授業をその形式で行いました。スマホを持っていない生徒には、契約切れのスマホをいくつか準備して貸し出しました。Wi∸Fiさえつながればいいので。
黒板を見ている必要もないし、集中するために壁の横に移ってもいいし、ベランダに出てもいいので、自由です。しかし動画を見て問題を解くという作業は自分でやらなくてはいけません。従来の授業なら、聞いていなくてもただ座っていればいいけれど、自分でスマホを使って聞くしかないので負担に思う生徒もいるはずです。やっている振りをする生徒ももちろん出てきますが、そういう生徒には注意したり、説得したりして指導しました。
誰でもそうだと思うのですが、人は何か始めるときに、「これができたらきっとこうなるはず」という未来を描いていると思います。私が描いたのは、すべての環境が整えば、生徒たちが「今日は数学だけ勉強しよう」「今日は化学かな」「国語にしよう」というふうに自発的に教科を選んで勉強して、ある程度こなした時点で先生の面接試験を受け、合格したら次のレベルに移るというような勉強の仕方になるかもしれない。そうすれば時間表はいらなくなると考えました。
金気分によって生徒が自分で科目を選んで勉強するんですね。
李そうです。高級部の授業はそうならなくてはいけないと思っています。中学の時点ではまだ思考が開発されていないので難しいですが、高校生くらいになると勉強が苦手だという生徒でも、基本的な論理力は習得しています。高級部になると授業内容が難しくなってきます。もちろんやれば誰でもできるのですが、先生との相性や授業のやり方によって勉強を放棄してしまうケースが多々あります。
ところが動画は、スイッチを入れると動き出して、生徒が途中で居眠りしても、無視しても同じように講義を続けます。無機質ですが、生徒は自分の態度によって反応しないということにある意味、安心するのではないでしょうか。ライブの場合は、自分の態度で先生の態度が変わるので勉強以外にそこにも神経を使います。しかし動画の場合は内容を理解することだけに集中できます。
問題は評価をどうするのか、これが難題です。
金でも動画をみるだけでは理解できない生徒もいるのではないでしょうか?やはり教員が手を添えなくてはいけない部分もあるだろうし。
李そういう生徒は聞きに来ます。二学期から高二の化学基礎の授業でもこのやり方を取り入れているのですが、わからないときは他の生徒に聞きに行きます。ウリハッキョの伝統ともいえる互いに教え合う勉強法(インジョサオプ)が生活力を発揮します。ごく自然に聞いたり教えたりということが行われています。友達が自分の勉強で忙しそうだなと思った時には私に来ます。
金そういう積極性が全員にあるんでしょうか?
李もちろん、やりたくないとうつぶせになったり、一〇分くらいiPadを見てしばらくぼうっとしている生徒も中にはいます。そうしていても動画をみて課題をこなしていかなくてはいけないことは、わかっています。一連の過程を消化することで、基本的な内容は理解できるようになります。
いつでも勉強できる環境が大切
金動画作成はどのように?
李以前は動画作成編集ソフトを使っていたのですが、昨年からExplain Everythingというアプリを使っています。去年の教育方法研究会の時と、今年の夏休みにあった理数教員の講習の時に紹介したのですが、大変よくできたアプリで使い勝手がいいです。私が買った時は四百円でしたが、今七百円になっています。一度購入すればアップデートは無料です。このソフトを利用することで、やりたいと思っていたことができるようになりました。まだ広く普及していませんが、東京中高の数学の先生も使っていると思います。
サイトの作成はオープンソース(無料)のMoodle(ムードル)というソフトがあって、それをサーバーにインストールして立ち上げると学習サイトを作ることができます。ここでIDとパスワードを登録すると、コースを作ったり、問題を作成したりできます。
それをYouTubeにリンクさせると、生徒たちがYouTubeで見られるようになります。
金教材つくりのアプリはたくさんあるのでしょうか?
李ありますが、高価なんです。YouTubeを見るとThink Boardを使ったものがたくさんアップされています。使いやすいとは思うのですが、アカウントいくつかで数十万円します。学校単位で買って使っているんだと思います。できたものを見てもExplain Everythingとさほど差は感じませんが。
金ほかの先生たちも活用しているんですか?
李今のところ、動画を作成して授業に利用しているのは私だけです。ネットにアップされている動画を授業に利用している理数科の先生はいますが、動画を作っているのは私だけです。一時間や二時間ではなく、毎回動画を準備するとなると膨大な時間と労力が必要です。「効果はあるかもしれないけれど、黒板とパワーポイントやプロジェクターでできているのに、わざわざそこまで手をかけなくても」「対面授業が一番」ということだと思います。私も黒板とパワーポイントで対面授業をする方が楽です。でもそれでついていけるのは、実質的に三分の一ほどではないでしょうか。生徒を見ながら「わかりましたか?」と聞くと、何となくわかったような雰囲気になりますが、本当にわかっているのは一部の生徒だけです。
金教員は、生徒が理解しているのか不安だから「わかりましたか?」と何度も聞いてしまうんですよね。
李そうなんです。生徒もそう聞かれると「わかりました」と答えるしかない。そういう関係は正常ではないと思うのです。
金この間フェイスブックで、動画を用いて授業をしたという投稿に、「これでまた先生と子どもたちのコミュニケーションが薄らぐ」というコメントが出ていたのですが、実際に授業をしてどうですか?
李多くの教員や親たちがそう思っているのかもしれません。一時間ずっと動画を回して、生徒は教員の代わりに動画に向き合って勉強しているというイメージなのですかね。動画は授業の一部です。授業の内容を理解するうえで動画の占める割合はせいぜい二〇%です。動画は、見ようと思えばいつでも、どこでも見られるし、繰り返し見ることもできます。やろうと思った時に、「あれ何だったかな」と思った時に、自由に見ることができます。教員の気分や体調を伺うことなく、生徒自身の要求に沿っていつでも勉強できる環境を作ることが大切なのです。
金生徒たちが教室内の自分の好きな場所で、自分なりの方法やスピードで勉強している環境の方が、教員は生徒一人一人の表情がよく見えるかもしれませんね。そうなると、一人一人の生徒にあった指導ができる。
李そうなんです。全員が教師の言葉を聞いて、全員が同じスピードで教師の授業についていっているような個性を無視した不自然な状態よりも、それぞれが自分に合った環境で自然に学べます。作り上げられた授業よりも自然なんです。でも授業を観て「これでいいのか」という先生もいます。
金無秩序に見えるんでしょうね。評価はどうしているんですか?
李高級部二年生は二学期から始めたのでまだどうするのか決めていませんが、今のところ、やはりペーパーテストです。まだそうなるしかないんですね。ただペーパー試験の内容は変わると思います。選択問題のようなパターン化された問題よりも、理解度を確認できるようなものになると思います。
金具体的な授業の時間配分はどうなっているのでしょうか?
李今は十分ほどの動画で基本的な内容を学習し、黒板に貼ってある要点をノートに写しながら内容を頭の中で整理して、さらに教科書などを見ながら問題集を解きます。問題集には動画やノート整理だけでは解けない応用問題が四〇%ほどあります。解けないときは友だちに聞いたり、私に聞いたりします。そして最後に確認の小テストをします。テストといっても監視するわけではなく、理解できているのか自分で確認するためのものです。採点も自分でして、間違ったところは赤字で記入して提出します。そうして提出したものを閉じた個別のファイルにしてあります。始めのうちは意図が分からずに赤字で書かない生徒もいます。そんな生徒には本当に理解しているのか質問をして、赤字は評価のためではなくどこが難しかったのか教師が知り、生徒自身が後でファイルをもって勉強するときにどこが理解できなかったかを知るためのものだと説明します。すると次からは間違った部分を赤字で書くようになります。赤字で書き入れながら理解できないときは、聞きに来ます。一時間のうちに小テストまで行けない場合は次の時間に続きをすることになるので、どうしてもスピードに差は出ます。けれど中間試験や期末試験の範囲は決まっているので、遅い生徒は追い上げが大変になります。
勉強法、デザインする生徒たち
金動画を何度も見て学習する生徒もいるのでしょうか?
李初めて一か月半ですが、まだそこまでは行っていません。一応見たという感じです。ただ会を重ねれば効率を上げなくてはいけないことも分かって、動画をはじめからもっと真剣に見るようになると思います。一学期は、全員一緒に動画を見てノート整理をして、問題集を解きました。従来の授業のように全員が一斉に同じ進み方で授業をしました。そうするとついて来られない生徒もいます。
金自分でやり方を組み立てて勉強するというやり方ではなかったんですね。
李そうです。二学期から各自が自分のやり方でプロセスをこなす方法を取り入れて、これまで五回授業をしたのですが、半分くらいの生徒は、要領をつかみ始めたようです。最近は中間試験の範囲を聞いてきます。どれくらいの速度で進めれば試験期間までにその範囲をこなすことができるのか見積もれるようになったのだと思います。追いつかないようだったら、家に帰ってやるしかありません。
金授業時間、先生はどうしているのですか?
李結構忙しいです。生徒が質問に来るのでそれに答えているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。その間、生徒は一人で問題に向き合ったり、何人かグループでわからないところを教え合ったりしています。これまで生徒は教師が教えてくれるのを待っていました。ところが自分で勉強の仕方を組み立てるようになると、授業中だけでは時間が足りないときには、その分を家でやろうという生徒が出てきます。この間も「このままでは範囲を全部消化できないので家でやってきます」と言って先の部分の小テスト用紙をもらいに来た生徒がいます。
金そういう生徒は従来の授業より現在のやり方がいいと思っているのでしょうね。
李そう言っています。やればやるほど前に進めるからこっちの方がいいと。
つい最近中学三年生の生徒から、「中三理科の動画もありますか?」と尋ねられました。彼女は去年私が数学を担当した生徒です。ちょうど去年作った中三理科の動画があったので「中二の時のアカウントとパスワードで入れば見られるよ」と、「ただ作り始めた頃の動画なので声は暗いよ」と言っておきました。すると「わからないところを繰り返し見て勉強します」と言っていました。そういうやり方がいいという生徒もいます。
金問題は本来、勉強が苦手な生徒達ですね。
李そうです。そういう生徒たちがどういう風に変わって行くのか、注目しています。
金昨年の一年間、中学二年生で一度も講義のない授業をしてどうでしたか?
李生徒たちは結構一生懸命やります。一学期は動画ではなく数学の教科書を読んで問題を解くという方法でした。数学の教科書というのはあまり読まれないんです。数式を覚えて、問題を解くだけで。この時の授業では、教科書を読んで問題を解くと、私のところに来て答え合わせすることになっていました。そこで間違えていると、「教科書のここにこう書いてあるよ」と指摘します。すると、生徒は少しずつ注意して教科書を読むようになります。勉強のスピードはまちまちで、速い生徒は学期末試験の三週間前に試験範囲の勉強を終えていました。一人で勉強するのは難しいと思う生徒たちは、自ら私の横に座って勉強していました。
金高級部と中級部では生徒の反応が違いましたか?
李違います。中級部の理科はやはり講義をした方がいいと思いました。講義に加えてわからないときにいつでも見られる動画があればいいかなと思い、去年作りました。
育てるのは、型ではなくイメージ
金高校二年生のどの科目で動画を導入しているんですか?
李高校二年の化学基礎です。今年から教科書が変わりました。
金化学というと化学記号を覚えるのに苦労した記憶があるのですが。
李そうなんです。そこで引っかかってしまう生徒が多いのですが、それも質問のやり取りを頻繁にすることでクリアできます。
私が話しながらイメージしていることと、それを聞いて生徒たちがイメージしていることには大きなズレがあります。生徒のイメージを教師のイメージに近づけていくのが授業だと思います。社会で使う共通語を教えることが学校教育です。解の公式は日常生活では使わないけれども、そういう言葉を聞いた時に同じイメージを持てるようにするのが学校教育です。あるイラストレーターをしている卒業生が、仕事で「光合成」という言葉を繰り返し聞くことがあって、始めのうち何を言っているかわからなかった、よく考えたら「광합성」のことだったと話していました。もちろん日本語と朝鮮語を併記することも大切なのですが、言葉のイメージをしっかり教えることが重要だなと思いました。
今、中級部三年生で高級部の入学試験の準備をしているのですが、数式を解く過程で簡単な間違いを繰り返すことがあります。覚えたままを型どおりに当てはめようとするので、間違いに気づかないんですね。指摘されてちょっと考えれば、理解できるのですが、自分の頭で考えて応用しようという姿勢が育っていないのです。優秀と言われる生徒でもそういう傾向が見られます。二年生の頃の授業で、かなり正されたのですが、また戻ってしまうんですね。根本的な変化になっていないということです。間違いの根が深いのです。生徒が学習内容をかみ砕いて理解していないと感じることがよくあります。教師は生徒の脳が固まらないように、常にもんであげなくてはいけません。
生徒には、毎学期成績をつけられるという縛りがあります。いい成績を取るためには先生が作った試験でどれだけいい成績を取るかが重要になります。だから先生のいうことを一言一句聞き逃さないようにして、「次の試験にこれを出すよ」というと、印をしてその部分を一生懸命勉強します。教科書の内容をどれほど理解できているかではないのです。先生の作った型にはまる勉強になっているのです。一方で七~八点取れればいいやという子どもは、先生のいうことをあまり一生懸命聞かない、あとでやればできるからと。こういう現状はおかしい。
知ったときの喜び、わかったときのうれしさが誰にもあると思うのです。それをどうやって生徒たちに味合わせてあげるのか。わかるようになれば子供たちは自分でやるようになると思うのです。
生徒が満足する「四五分」を
金でも新しいことを始めるには勇気がいりますよね。
李去年、私が中二で一度も講義しないで一年間授業したときに、誰も質問に来ないときもあって、そういう時は前に座っているだけなんです。そんな時にふと、「自分は何をやっているんだろう」と考えてしまうんですよね。そうして授業が終わって、これでいいのかな、本当に授業をしているのかなと落ちた込んだことがありました。
金自分への呵責ですね。
李そう、呵責。でもああこの感覚がないと続けられないなと思いました。これまで自己満足の授業をずっとやってきたんだなと。四五分間講義すると、今日は授業したぞ、生徒も分かったと言ってくれたという満足感のようなものを感じられます。ほんとうはそうじゃない子がいっぱいいるのに、そういう自分だけが満足した授業をずっとやってきたんだなと。そこから抜けないとだめなのだと。授業というのは「私の四五分」ではなく、「生徒の四五分」、生徒にどういう四五分間を過ごさせてあげるのかが大切なのです。そう考えないと、誰もいない静まりかえった空間で、一人で声を出して一つずつ動画を作ることはできません。教師が変わらないと、生徒は変わりません。
試験期間が近づくと生徒の頭は活性化します。教師が何も言わなくても、生徒自ら学ぼうとします。そういう状態を普段から作れないか、それが私の長年の課題です。面白い先生は、クラスを盛り上げながら楽しい授業をしますが、私にはできません。理数系はこつこつ積み重ねていく科目で、面倒がる生徒が多いです。パワーポイントも画面が鮮やかで始めは面白いかもしれませんが、画面がどんどん変わることでかえって生徒の注意が散漫します。何とか生徒たちの頭を活性化できないものかと動画を作ったり、ネット上に問題を作ったり、協働学習をしたり、フィンランド式に席をコの字に描いて授業を作り込んだり、いろいろ試みたけれど、毎回そんな授業ができるのかというと、忙しい中でとても無理です。それをいくら研究して教員たちの教育方法研究会で発表したところで、実際には実現不可能なのです。
金そういう意味ではICTは大変便利ですね。
李若い先生は授業してクラブ指導して、夜遅くまで授業準備して。本当に忙しい。ICTはそんな教員に余裕を与えてくれるのではないかという希望もあるのですが、実際こうして新しいことを始めようとすると本当に大変です。あらかじめ作っておいた動画で、生徒が自分で勉強する授業が全国的に定着して、各地で同じ科目を担当する先生が自分の得意分野の動画をそれぞれ作ってアップするようになれば、クオリティーも高まって、映像が多様化します。そうなれば教員も、内容をより広く深く研究して生徒の様々な質問に対応できるよう準備する時間ができます。生徒との距離は近くなるし、時間的余裕も生まれます。
金現在、他の学校の先生との連携は?
李今年の一月の研究会では去年の中学二年生の授業について発表しました。「効果は?」「勉強が苦手な生徒の反応は?」という質問がほとんどでした。今のやり方に限界を感じている先生は多いと思います。けれど現状を変えるために新しいことに挑戦しようというふうにはなかなか、やはり決心が必要です。
保護者との信頼関係
金他の学校と違うやり方は、保護者にとってやはり不安だと思います
李去年中級部二年の生徒の保護者が、本当に今のやり方で、子どもが勉強できるようになるのでしょうか、大丈夫でしょうかと心配していました。必ず生徒は自分の力でできるようになります、ただ五〇メートル走をみな同じスピードで走ることはできません、なので生徒が自分のやり方で自分のスピードで勉強できるようにすれば生徒は必ずできるようになりますと話しました。数学が苦手な生徒だったのですが、期末試験でいい成績を上げて保護者も納得したようです。新しいことを始めると保護者は当然不安になるし、心配します。動画を見せて授業なんて人間味も何もないと。でもそれは結局授業をする教師への信頼にかかっていると思います。動画がどのような使われ方をしているのかを知れば不安は和らぐのではないかと。
去年、中級部三年の保護者の前でも説明をしました。保護者は、自分が経験したことのないことが学校で行われると、心配になるものなのです。一方で、いいことです、どんどんやってくださいという保護者ももちろんいます。
何もかも変わっていた
金ブランクを挟んで十数年ぶりに復帰した学校は変わっていましたか?
李一九九四年ころに退職して、二〇〇五年に戻ってきました。戻ってくると、ベランダにたばこの吸い殻がありませんでした。昔はベランダの端に吸い殻がいっぱいあったのに、今はそんな生徒はいません。社会が変わって、家庭環境が変わりました。昔は学校に出てこない生徒も多かったのですが、今は遅刻も欠席もありません。教員も昔は右左に極端な個性の強い先生が多かったのですが、今の先生はみなバランスがいい。学校の風貌というか雰囲気が変わって、勉強する環境が整いました。教科書の内容もすっかり変わって、内容が良くなりました。なにもかも変わっていました。戻ってきた当時は、教育の実効性を示そうということがしきりに言われていました。最近は実効性という言葉は使いませんが。今は、生徒たちがあまりにも素直で、素直すぎるのではないかと感じることがあります。論理的に「違うのではないですか」という生徒が出てきてもいいのではないかと思うことがよくあります。
金いじめの問題はどうでしょうか?
李いじめはほとんどないと思います。ただ担当が高級部から中級部に移って、中級部は本当に難しいと思います。心が豆腐のようで、主張の強い子、弱い子、すぐに傷つく子がいて、教師が生徒の心理をよく知って対応しないと、そんなつもりはなかったのにいじめになってしまう。それを進路相談のときに初めて打ち明けて、「こんな集団にこれ以上いられない」と日本の高校に行ってしまうケースがありました。今はそういう生徒の心理について教師たちがいろいろ学習しています。中級部の教務主任が積極的で、資料を集めたり、セミナーに参加したりして、教師同士で討論も盛んにします。最近もマドラー心理学について勉強したり、『七つの習慣』という本を読んだり。学ぶことで敏感に対応することになりました。うわべだけを見て簡単に判断しなくなりました。教務主任がセミナーに参加して学んできたことを皆で実践したりして、教員同士の関係もフラットに、対等でより近いものになっています。そういうことが特に中級部では大切です。これからも続けていかなくてはいけないと思っています、日本にはいい資料がたくさんあるので。40
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