朝鮮学校「問題」の本質は 「過去の歴史問題」と 「北朝鮮問題」の二点
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金有燮・千葉朝鮮初中級学校校長
千葉朝鮮初中級学校で催された「第19回日朝教育シンポジウム」(2017・11・23)で行った報告。
主催は、日本教職員組合、在日本朝鮮人教職員同盟、日朝鮮学術教育交流協会と現地実行委員会の四団体。テーマは「多文化共生社会の実現に向けて―認め合う社会へ」。
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いまこの日本で朝鮮学校や在日朝鮮人の事を正しく知っている人は、いったいどれくらいの割合でおられるでしょうか。
私も初対面の方と話すときは、先方は在日のことを「何も知らない、知らされていない」と覚悟して話すことが習慣になっています。
「日本語、上手ですね。いつ日本に来られたのですか」から始まるのが今までは当然でしたが、最近は少し変化を感じています。
「北ですか? 南ですか?」から始まって、露骨な拒否反応を示されたり、また肯定的にとらえようとされる方でも「朝鮮学校は北朝鮮でないと思ってるので応援します。」とか「四世ならもう日本人と同じなんだから差別はおかしいよ!」など。マスコミ報道の影響でとても混乱しているのが現状ではないでしょうか。自分たちの存在をきちんと正しく知ってほしいというのが私たちの願いなのです。
◇ ◇
校長の私は在日の三世です。ハッキョ[学校]の児童・生徒たちは主に四世です。三世が四世に民族の魂を教えているというのが今の朝鮮学校なのです。
普通一般的に、自国を離れた一世が、他国で自分の子どもに固有の民族心を伝える事さえとても難しいと言われます。
ましてや四世や5世になると一世からの民族心を保つことなど想像もできないそうです。
それを奇跡的に成し遂げたのが、私たち在日同胞なのです。
これは世界でも例のない、在日朝鮮人だけが成し得た前人未踏の大偉業であるのです。
朝鮮学校を世界文化遺産へ! と推す声が実しやかに聞こえてくるのもそのためでありましょう。
◇ ◇
私が校長になってつくづく感じることは、他でもなく学校教育にはとてもたくさんのお金がかかるという事でした。
やはりそれは、いち団体や組織が成し得るような代物ではなく本来、国が担うべき一大事業なのです。
しかし朝鮮学校創立以来、日本の国庫から朝鮮学校へ出たお金は一円もありません。
地方自治体からは一九七〇年代から補助金が出てきましたが、その額は日本の私立学校の一〇分の一にも満たないものでありました。
それでさえ現在は全国各地で減額や廃止など、とても追い込まれています。
千葉ではちょうど高校無償化問題が発生したころである二〇一一年度から完全に不支給となりました。やはり差別やいじめの免罪符を先に国が与えたのです。
そんな中、二〇一四年度からは千葉市より「外国人学校地域交流費」として補助金五〇万円が三年ぶりに支給されました。
これも我々が黙って座っていて恵んでもらったお金では決してありません。同胞たちや日本の友人の方々の数年にわたる交渉の末に得た権利であり、涙ぐましい戦いの勝利であるのです。
これには確かに千葉市長の尽力もあったのです。
補助金が支給された年の二〇一四年に「市長を囲む会」という集会で、補助金に対する質問をした私に市長はこう言ったのです。
「私は市議のころから朝鮮学校の補助金を求めて何度も質問に立ちました。全国の市長の中でも、朝鮮学校問題については私が一番理解していると自負しております。しかしまだ市民感情や、議会の中でもこの問題に対する理解を得られてないのが現状なのです。校長先生、『外国人学校地域交流費』という補助金の名の通り、地域での交流事業を通して、少しずつ現状を変えていこうではありませんか。」
と、こんな立派な事を目の前で言ってくれるので、私はついハグしたい思いをぐっとこらえたほどでした。
まさかその二年後、この市長に補助金を切られることになろうとは夢にも思っていませんでした。
今年の四月、千葉市子ども未来局は補助金の申請のために市役所へ行った私に、市長からの一通の通知書を手渡しました。そこには何と「補助金不交付通知書」と書かれていたのです。
そこに記されていた不交付の理由の一つは、地域交流事業として行ってきた美術展に従軍慰安婦に関する作品がありそれが日韓合意に反するという事と、二つ目は芸術発表会で共和国の歌「行こうペットゥサンへ」という歌を歌ったからだというのです。しかも今年だけでなく、来年以降も凍結する可能性があるというではありませんか。
あまりに理不尽です。
一体この社会に、子供たちが描いてはいけない絵や、歌ってはいけない歌なんてものがあるのでしょうか。
そもそも千葉市のいう「外国人学校地域交流事業」とは何でしょう。
それはまさしく「異文化交流」でありましょう。
地道な交流によって、互いの文化や歴史の違いを理解し尊重し合うことが初めて可能となるのではありませんか。「検閲」のある異文化交流、日本的価値観を強要される交流などは異文化交流ではないのです。
展示された朝鮮と日本の子供たちの作品はそれぞれ異なりましたが、それぞれみんな素晴らしかった。そうです。互いの「違い」は「間違い」ではないのです。多文化共生の出発点がそこにこそあるのです。
慰安婦問題しかり、朝鮮の歌「白頭山へ行こう」しかり、私たちには私たちの歴史観や文化があるのです。
それをだれも奪うことはできません。決して強要することも出来ません。
私が不交付の理由をはじめて聞いたとき頭をよぎったのは、日本の植民地時代に朝鮮の子供たちが学校で日本語を強制され、朝鮮語を話すと日本の教師に叱られ頭を殴られたという話でした。
それから一〇〇年たった今でもこの日本では、支配者や権力者の思い通りの絵を描き、歌を歌わなければいけないなどと、まさしく暴力的に在日朝鮮人を抑圧しているのです。いまだに同化政策や植民地主義を捨てきれずにいるのです。
みなさん、補助金が出ないと学校はどうなるでしょうか。
教育の質が下がるのでしょうか。大切な子どもを預かる教員の良心が決してそれを許しません。だとすると下げざるを得ないのは教員たちの人件費なのです。
いまここ千葉朝鮮学校の教員たちは、日本の学校では信じられないくらい、日本の先生たちが聞くとびっくりされる程しか人件費が支給されない中、毎日歯を食いしばりながら精一杯、学校を維持しているのです。
現状はとても危機的であります。財政の問題や生徒数の問題など、教員たちの熱意だけでは解決できない数々の問題に直面しているのです。
しかし我々はあきらめるわけにはいかない、この学校は同胞たちの、大切なコミュニティーであり、心の故郷なのです。決して私たちの大切な故郷をこれ以上、奪われるわけにはいかないのです。
◇◇
朝鮮学校問題の本質とはいったい何でしょう。
まさしくそれが、今回の補助金凍結の理由からはっきりとみえてくるのです。
「慰安婦の絵」はすなわち「過去の歴史問題」であり、歌「行こうペットゥサンへ」はまさしく「北朝鮮問題」であります。
そう、朝鮮学校問題は全てこの二点、「過去の歴史問題」と「北朝鮮問題」に行きつくのです。
去年まで補助金を使って行っていた美術展を今年もそのまま行う事ができるのか、私たちがとても不安にしていたところ、なんとその話を聞きつけた方々が、次々に救世主となり現れたのです。
「日本人として恥ずかしい。自治体がそんな姑息な理由で補助金を出さないというなら私たちがそのお金をだそうではないか」 といい、国立市の上村和子市議、無償化連絡会の森本孝子先生、そして某国立大学の名誉教授、在米同胞ソン・ソンスクさん、そして西東京ハムケの会の皆さまが補助金と同額のお金を次々と寄付してくださったのです。
このような暖かいご厚意に教職員や児童生徒たちがどれだけ勇気づけられたかわかりません。
その反面、悲しい出来事もありました。
今まで共に美術展で交流をしてきた日本の学校五校が、今年は情勢の関係上、保護者から抗議の声がでる可能性があるので自粛したいと伝えてきたのです。
情勢がこういう時だからこそ地域の交流が大切なのではないか、と、あなたたちの目指す多文化共生社会とは何のか、等、何度言っても聞き入れてはもらえませんでした。
また去年までこの美術展の後援をしてくれていた千葉市国際交流協会、千葉日報、千葉テレビ、共同通信などの後援団体が、今年は自粛する、後援団体から外してほしいと言ってきたのです。その理由をきくと、千葉市とまったく同じことを言い始めるではありませんか。
朝鮮学校が地域交流をすることさえ今の日本では不可能なのかと、悔し涙を流しました。
しかし私たちは国際交流、地域交流としての美術展を決してあきらめませんでした。
毎年、南北朝鮮を含むアジア八カ国の子どもたちの作品を展示している新極美術協会という協会に問い合わせ、千葉の事情を説明すると喜んで協力してくださるとの返信をいただきました。
また千葉大学の教授や学生たちも今までと同様に交流をしてくださる事となりました。
このような紆余曲折を経て、美術展は今年も一二月五日~一〇日まで千葉市美術館にて行われます。
ぜひともご来館くださり、私たちのチャレンジに大きなお力添えをくださる事をお願い申し上げます。
◇ ◇
第二次千葉ハッキョの会訪朝団についてお話しします。
千葉ハッキョの会は今年の八月、ついに二度目の訪朝を果たしました。
千葉市が「その国の歌を歌ってはいけない」といったように、日本ではすっかり悪魔化された「北朝鮮」とはいったいどんな国なのか。自分の目で見て、人と接し、直接体験して確かめようではないかと話し合い、私を含めた8名が訪朝したのです。
今回私たちは、普通の一般市民たちと直接触れ合う機会を意識的にたくさん作ろうと努力しました。
朝の散歩は一日も欠かしませんでした。 早朝から川辺で釣りをしている人や芝刈りをしている人、公園で運動をしている人たちへ積極的に声をかけました。するととても明るく気さくに対応してくれるのでこちらが驚くほどでした。
プールでは水着に着替え、笑顔ではしゃぐ平壌市民たちと共に時間を過ごし、妙香山では職場の仲間たちどうし野外でピクニックをしていた人々と共に歌い踊りもしました。
また平壌の市民たちが日常利用している商店をいくつも見て回り、昼食と夕食は基本的にホテルを出て外食をし市民たちの様子を垣間見ました。
日本では朝鮮に行くと見せられるものしか見られず、しかもそれは全て仕組まれた劇場のようなものだと報道される中で、我々は朝鮮人民の極「普通」の日常を自分の目で確かめ体験したのです。
そして夜には、真剣な感想交換会を朝鮮の案内員三人も入れて毎日行いました。
例えば、「日本的な価値観で朝鮮を見てしまっては朝鮮を正しく見ることはできない」、「まずはあるがままを素直に見て、朝鮮の理想としているものが何かを少しずつ理解していこう」、「主体思想とは?先軍政治とは?朝鮮式社会主義とは?」こんな真剣な感想発表会が毎日行われ、共和国に対する理解は一日一日深まっていったのです。
もちろんその後はお酒も入り、ほろ酔いでの会話が遅くまで盛り上がったのは言うまでもありません。
圧巻であったのは、最後の日の平壌ホテルで行った大宴会。共に滞在していた、全国から来ていた朝鮮学校の教員たちや朝鮮大学校学生たち二〇〇名ほどもいっしょでした。
そこで我々は、例の歌「行こう、白頭山へ」を合唱しました。
するといつの間にかそれは、ホテルの従業員も含めた参加者全員による肩を組んでの大合唱へと繋がったのです。
我々はこの歌を朝鮮の案内員から習い、バスの中で毎日大声で歌っていました。
朝鮮学校の芸術発表会では禁じられ罰せられたその歌を、日本の方々が、他ならぬ朝鮮の地で、共和国の人たちや全国の朝鮮学校関係者と共に肩を組んで歌ったのです。私は涙が止まりませんでした。そしてこの歌をこれからも日本で高らかに歌っていこうと固く誓い合ったのです。
日本に帰る日が近づくにつれ皆の悩みは、「日本に帰って朝鮮の真実を話してもどうせまた洗脳されて来た、としか言われないのだろう」という事でありました。
「それを乗り越えるのは結局、自分自身が朝鮮をより深く理解する事から始めるしかないのではないか」といったそんな話し合いからトントン拍子に、日本へ帰ったら訪朝メンバーを中心に朝鮮をより深く知るための学習会を定期的にやっていこう、その成果をもって来年はより大きな訪問団を作ってまた訪朝しようではないか! と話し合いました。
その学習会の第一回目は一二月一六日(土)午後二時から千葉コミュニティーセンターで、埼玉大学の鎌倉孝夫名誉教授を迎えて行う予定です。
そして千葉ハッキョの会は、来年も八月の初旬に三回目の大訪朝団を、全国から団員を募集し立ち上げる予定です。
◇ ◇
ここで確認しておきたいのは、朝鮮学校と共和国との関係についてです。
誤解を恐れずいうなら、歴史的にも各個人の価値観から言ってもそこには深い関係性があると言えるでしょう。
それは祖国から送られてくる教育援助費と奨学金に象徴される歴史的背景から来るものだけではありません。
もちろんそれ無くして朝鮮学校はなく、私自身の存在も無いのでその意味では深い義理を感じるのは確かであります。
しかしそれだけではないのです。
先ほども言いましたが、月に数万円という少ない給料で歯を食いしばって頑張っている教員たちをみると、本当に涙がでます。この数年間、若い独身の男の先生たちは五人でアパートの部屋を一つ借り、合宿生活をしています。
この先生たちが「生活できないのでもう辞めざるを得ません」といって皆が来年度から、いえ明日からでも来なくなれば、学校はそこで終わりです。廃校となり門を閉めなくてはいけません。
そんな壮絶な環境でも先生たちはいつも笑顔で子供たちのため、同胞社会の存続ために辞めずに続けているのです。
その力はいったいどこからくるのでしょうか。
朝鮮学校のおかれた状況と共和国の状況はとてもよく似ています。
朝鮮はいまアメリカによる圧倒的な経済制裁を受けながらも、人民たちの団結した力でそれを突破していこうとしています。
朝鮮学校も補助金を切られ同じく兵糧攻めにあいながらも、同胞たちや卒業生たちの団結した力でそれを突破しようと努めているのです。
この様におかれた状況も似ているだけでなく、それを突破する力も同じなのです。
それはまさしく拝金主義や個人主義に毒されていない、共同体主義や助け合いの精神であり、それこそが朝鮮学校のモットーである「一人はみんなのために、みんなは一人のために」であるのです。
差別的な異国の地でウリハッキョを七〇年間も代を継いで守って来た底力はここにこそあるのです。
共和国も経験した本当の「苦難の行軍」は、今から始まるのだと私たちは覚悟をしています。
しかしこれからも共和国が、アメリカをはじめとした帝国主義、支配主義に向かって堂々と最後まで対抗し続けるように、朝鮮学校も日本の植民地主義勢力を相手に、同じく勝利するまで戦い続ける事でしょう。
民族自決、民族自主の精神は、朝鮮民主主義人民共和国の尊厳であり、同じく、ウリハッキョの命なのです。
◇ ◇
私たちは補助金を切られた理由でもある朝鮮学校差別の本質から、決して逃げる事も恐れる事もせず、真っ正面からあきらめることなく、最後まで熾烈に立ち向かっていく事でありましょう。
私たちが望むのは、決して一時的な補助金などではなく、過去に行った植民地政策の結果として今ここにある朝鮮学校の存在の意味を、日本政府や地方自治体が真に理解し、その教育を保障する事なのです。
ここまで見てきたように、いま私たちにとっての最重要キーワードを五つ挙げるとするなら、1民族教育権、2地域での多文化共生、3日朝友好親善、4祖国統一、5世界の自主平和―となります。
これらはだれが何と言おうと全て、人類が歩むべき正しい道の、その上にあるはずのです。だからこそ、私たちは必ず勝利する事でしょう。
最後に、去年の千葉ハッキョ創立七〇周年記念行事の時に掲げたスローガンを紹介して終えようと思います。
それは「な、の、はな」です。
な、は朝鮮語で私
の、はあなた
はな、は一つ
ですので語呂よく、「な、の、はな」で「私とあなた、心は一つ」という意味となります。
そして菜の花は千葉県の県花なのです。
本日は本当にありがとうございます。これからも「な、の、はな」の精神でより心豊かな多文化共生社会を共に作り上げていきましょう。47
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