阿佐ヶ谷朝鮮学校FBより2018年4月27日 南北首脳会談
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番場豊
九時半から、ホールでテレビを見ます」と教えてくれた。担任の金桓泳さんが担任児童の世話で、校外に出ていて、両隣の一年担任姜明心さん、三年担任金裕伽さんが時折教室を覗いて、桓泳さんの不在をケアする。
外出から帰ってきた桓泳さんは、開始時刻が変更になったことを知り、子どもたちの連絡帳を見たり、体調を確かめたりする。やんちゃ盛りの人懐こい子どもたちに囲まれて、満載の朝処理をする。時刻が迫り、階下のホールに行くと、他学年の子どもたちが並んでいる。
校長の鄭仁秀さんが何やら説明し、成一さんがプロジェクターの電源を入れる。映し出された板門店の青い建物を見て、今日という日の意味を知る。
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何年か前、中央に立つ若い兵を見ながら、室内中央に引かれた白線を越えた。軍事境界線に跨って立っている軍事停戦委員会本会議場だ。北の兵隊を刺激するので、女性は、スカートやホットパンツ、ノースリーブはいけない。男性も、アロハやジーパンはいけない。自由の家から板門閣方向に向かっている階段を下りてはいけない。大声での笑い、指差し、ピース・サイン、手を振るなどの行為は禁止と説明する滑稽な観光案内的パフォーマンスに笑いをこらえながら従順に行動した。
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両国の記者たちが歴史的瞬間を全世界に向けて発信しようと待ち構える中、朝鮮側、板門閣の玄関から、二〇数名の人たちが姿を現す。黒い背広が多く、軍服の人、女性もいる。中央にいるのが朝鮮労働党委員長金正恩さんだろう。
阿佐ヶ谷朝鮮学校の先生方や子どもたちが食い入るように映像を見ている。
正恩さんが、警備の人の中から抜け出て、満面の笑顔で歩いてくる。正恩さんの動きに合わせて、韓国側の自由の家から出てきた韓国大統領文在寅さんが、幅三〇㎝のコンクリート板に向かって歩いていく。分断の象徴の前に、在寅さんが立ち、歩いてくる正恩さんを迎える。在寅さんが右手を差し出し、境界線の反対側に立った正恩さんがその手を強く握った瞬間、ホール中に、先生方と子どもたちの拍手が沸き起こった。
「歴史的場所であり、感動的だ」という正恩さんの言葉に、「歴史歴な英断だ」と在寅さんが応じ、在寅さんの手招きで正恩さんが境界線を一跨ぎする。カメラのシャッター音が沸き上がり、眩いフラッシュが光る。
そして、わたしたちが固唾を飲んで見守る中、全世界の人々が応援しながら見守る中、正恩さんの招きに応じて、在寅さんが三〇㎝のコンクリート板を一跨ぎした。
背筋を貫くような感動に身を震わせながら、在日の、朝鮮の、韓国の人々の心境を想像する。これまでにここで出会った申静子さんや李相祚さんたち、文科省前で知り合いになった梁玉出さん、朴裕美さん、オム・ガンジャさんたち。みんな、みんな、どんな思いでこの瞬間を迎えているのだろう。手が痛くなるほど拍手をする人、涙を流しながら叫ぶ人、歯を食いしばって親しい方に思いをはせる人がいるはずだ。
後方の通路に立ち、眼鏡をつけた仁秀さんが、身じろぎもせずに画面に見入っている。かれの胸には、今、どんな思いが去来しているのだろうか。
少し飽きてきたのか、低学年の子どもたち何人かがもぞもぞし、桓泳さんや明心さんがそれとなく言い聞かせている。歴史的感動の瞬間にも、子どもたちの気配を感じ、世話をしている若い教師たちに、かっての自分を見る。
今この時点では、事態の重要性について、この子どもたちより、被差別当事者性の低い日本人のわたしの方が高い認識を持っているだろう。しかし、昨年入学した子どもたちが、「ソンセンニム」に導かれて朝鮮語を習得し、すでに手の届かない地平に立ったように、彼らは、あっという間に、被差別や分断についての認識を獲得し、自らと世界を解放する存在に育っていく。阿佐ヶ谷朝鮮学校にある、「ソンセンニム」と「ウリハッキョ」がそれを成さしめていく。
「軍事境界線は高くもないし、簡単に越えられた。あの軍事境界線を越えて、ここにたどり着くまでに一一年がかかった。なぜこんなに長い時間がかかったのか。…失われた一一年の歳月が意味を持つように、これから随時会って、懸案を解決し、心を一つにし、意志を集めれば、失われた一一年は意味を持つのではないか。…平和、南北関係の新しい歴史、繁栄が始まる瞬間のスタートラインに立っている」と正恩さんは語った。
幅三〇㎝、高さ一〇㎝にも満たない境界線を越えるのに一一年もかかった。だが、相手を思い、信頼しさえすれば簡単に超えられるのだということを世界は知ったはずだ。正恩さんや在寅さんは、その勇気を世界に発信した。
人にやさしくない様々な境界線を越えるために、わたしは、これからも阿佐ヶ谷朝鮮学校に通い続ける。40
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寄稿 南北首脳会談に寄せる思い
竹田 響・阿佐ヶ谷朝鮮学校サランの会
四月二七日、大韓民国(以下ROK)の文在寅大統領と朝鮮民主主義人民共和国(以下DPRK)の金正恩朝鮮労働党委員長が初めて直接出会い、史上三回目の南北首脳会談が行われました。ライブ中継されていたこともあり、直後から賛否の反応が各方面から上がっていますが、個人的には極めて卓越したものでなかったのではないか、と思っています。
皆さんも実感されておられる通り、今、まさに朝鮮半島を含む北東アジア情勢が歴史的な転換点を迎えています。
一回目の首脳会談は二〇〇〇年に平壌で金大中大統領と金正日総書記によって、また二回目の首脳会談は二〇〇七年に平壌で盧武鉉大統領と金正日総書記によって行われましたが、今回の南北首脳会談で特筆すべき点が少なくとも三点あります。
まず一点目はライブ中継されたことです。韓国側がメディアセンターを設置し、全世界にほぼ同時中継がなされました。DPRKの国家元首がライブで報道されること自体が極めてまれですが、それ以上に、人びとの金正恩委員長に対しての、いや、もしかしたら「North Korea(北朝鮮)」と呼んでいた場所にいる人びとへのイメージが会談前後で変わっているのではないか、とも感じます。
そもそもどこに住んでいようが同じ人間ですから、笑顔もあれば、難しい顔をするときもあります。しかし、人と人とが対峙する場において相手に与える印象というものは、その後の当事者間の関係はもちろん、その場にいなくても何らかの方法でその姿を目にした他の人びとの心を揺さぶるほどの影響力を持ちうると思っています。
二点目は板門店の南側で行われ、国家元首が徒歩で軍事境界線(MDL)を越えたことです。金正恩委員長が文在寅大統領に招かれて軍事境界線を跨いで越えた場面はまさに歴史的なことでしたが、加えて両元首が手をつなぎながら北側にも越え、再度南側に入った点は、極めて特筆すべき点であったと思います。
そして三点目が、ROK側が準備した一連の行程です。午後に行われた松の植樹の際には、金正恩委員長がROK最高峰の漢拏山(ハンラサン)の土とソウルを流れる漢江(カンガン)の水を、文在寅大統領がDPRK最高峰の白頭山(ペクトゥサン)の土と平壌を流れる大同江(テドンガン)の水を、それぞれ朝鮮戦争の停戦協定が結ばれた一九五三年に芽生えた一本の松にかけ、松の横には「平和と繁栄を植える」という碑が両元首の名前によって建立されました。
夜に行われた晩さん会にはROK側が準備した食材に加えてDPRK側が準備した平壌冷麺が(これは本当においしいです)出され、そしてクロージングセレモニーでは、これまでの情勢では誰しもが考えられなかったであろう、平和の家へのプロジェクションマッピングによるエンターテイメントショーが投影されました。ショーが終わる際に、国家元首の二人が手を握り合いながら観ている場面で心を動かされた人も多いのではないかと思います。
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この会談に、何か裏があるのではないか、と懐疑的な見方をされている方が一定数いらっしゃいます。もちろん、国家間の会談ですから、表に出している部分と、他方にはもっとこうしたい、という願望のようなものもあるのだろうと考えます。しかしながら、どれだけ裏があったとしても、あの場をセッティングし、実際に元首が出会うところまでの流れを作り、会談という形で両元首が会った、これだけのことを成し遂げた人びとは、世界中にもそう多くはいません。特にあの場のセッティングに携わった、ROKとDPRK、特にROKの関係者に心からの敬意を表します。
(クロージングセレモニーの最後にBGMとして流れていた曲はOne Korea, One DreamというK-popで、分断の解消を望むROKで有名な曲です。)
歌詞
私たちは違ったことはない、忘れないで
その事実一つだけ私たちは十分に愛おしかった
今会いましょう
今行きますもう一度覚えておいて
もう一度私たち
歌を歌いましょう一つになるその日を
胸が高まる夢のために
I want you 手をつなごう
あなたと私 oh One Dream for One Korea …
加えて、両元首が対峙するリハーサルなしの一回限りの本番当日は、お二方とも笑顔で向き合うことができたわけです。おもてなしをされたら、それに匹敵するようなおもてなしで迎える。これは、特に朝鮮半島では大切にされる感情であると思っています。今年中に行われることになった、DPRK側で行われる第四回南北首脳会談も素晴らしいものになるでしょう。
朝、軍事境界線を挟んで歴史的な握手を交わした両元首が、笑顔で板門店宣言を発表し、ハグをし、そして手を握り合いながらクロージングを迎え、笑顔で手を振り合いながら別れる。両元首とも、もちろん自分たちが歴史を作っていくしか解がないのですから、時折緊張なさっていたようにも思いますが、当日のこの二人の姿は、計り知れない目に見えない力を、周囲の多くの人びとに与えてくれているのだろうと思っています。
彼らが越えた、コンクリートでできた高さ五㎝の境界線(border)を越えることが、どれだけ難しかったか。これまでそこを渡りたい人がどれだけいたことか。
日本人である私は、南北両側から、その境界の場に三回ずつ立ち入りました。いつ行っても、すぐ目の前にある場所に、手が届きそうなのに、行けない。そこにいる人に、会えない。連絡をすることはおろか、話しかけることすらできない。加えて、これまで、大韓民国国民、朝鮮民主主義人民共和国人民はその場所に立つことすら、基本的には許されなかったのです。
両国は未だ「戦争中」です。一九五〇年六月に始まった朝鮮戦争は一九五三年に同盟国側の国連軍と朝鮮人民軍・中国人民志願軍との間で休戦協定が結ばれましたが、以来協定が継続されているまま、終戦にすら至っていませんでした。それ故、板門店のあるDMZには今日でも両国側に多数の地雷が埋設されており、その数は一〇〇万個以上。正確な個数を誰も把握できていないのですが、世界で一番多い数が埋まっているとも言われています。軍事衝突で亡くなった南北の兵士もいらっしゃいます。そんな中で行われたのが、二七日の南北首脳会談でした。
六月初旬に予定されている米朝首脳会談については、まだ何とも言えない部分がありますが、首脳会談というものを設定するにあたり、三月末に東京でお話を伺った、文正仁韓国大統領特別補佐官の言葉に、印象に残った一節があります。「首脳会談というものは、リハーサルはない。だからこそ、絶対成功するように事前に準備をするし、成功するかどうかは当日までに全て決まっている」。文正仁特別補佐官の仰った通り、南北首脳会談は成功しました。楽観視はできませんが、このままの機運でいけば、米朝首脳会談もうまくいくのではないかと思っています。
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さて、そこで問題になるのが日本です。
安倍首相は否定されていらっしゃいますが、誰がどう見ようと、今の日本は蚊帳の外です。個人的には、米朝首脳会談が終わるまでは、日本の政府関係者は余計な発言は避けて黙っていたほうが良いと思っています。言い方にとげがあるかもしれませんが、話すだけ墓穴を掘る一方です。朝鮮半島情勢を何も分かっていないとしか思えない発言が、多くの場面で繰り返しなされています。
米朝首脳会談が成功した後に待っているのは、日本の賠償問題です。仮にアメリカがかつてキューバと行ったように「電撃的」にDPRKと国交正常化をした場合、アメリカの「良きパートナー」である日本も国交正常化交渉に入ることになります。そうなった場合、日本がまず初めになさなければならないことは、拉致問題の解決ではなく、DPRKへの賠償問題です。日本はROKに対しては「経済協力」という名の下、植民地支配をした賠償を行っていますが、DPRKに対してはこれまで一切何も行ってきていません。日本がある種七〇年ほったらかしにして向き合おうとしてこなかった「植民地支配をした」という過去に否応なしに向き合わなければならない時が、刻一刻と迫ってきています。
安倍首相は昨年九月「北朝鮮の脅威」を声高に主張されて、選挙に臨まれました。今の日本の政権に、その責任を清算する技量はあるのでしょうか。個人的には大きな疑問符が付きまとっていますが、少しでも良い方向に進むように、私自身、できることを一つずつ行っていきたいと思っています。
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私は今大学院の修士課程二年生。まだまだひよっこで、これから自分自身が何ができるのか、未だ分かっていない点が多々ありますが、一人の日本人として、朝鮮半島と共に、また、世界にある他の「壁」も一つずつ低くすることができるように、これからも歩んでいきます。
平壌にいる友達にも、また会うことができますように。(2018・4・29)49