ウリハッキョは心のふるさと教育権獲得を決してあきらめない
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プロフィール
2017年度東京朝鮮中高級学校
オモニ会会長
金栄愛さん
- 1965年11月生まれ
- 東京第三初級、東京中高、朝鮮大学校理学部卒
- 東京第五初中、東京中高、東京第一初中などで六年間教員
文科省前での「金曜行動」
金淑子「金曜行動」には毎週参加するんですか?
金栄愛会長今年度は毎週でした。昨年の五月中旬の東京朝鮮中高級学校オモニ会の総会で会長になったのですが、東京や周辺のオモニ会の前年度活動総括や役員選出などを経て、実際に活動が始まったのは六月三日の初の役員会議からでした。朝大生はすでに新年度の体制を整えて始めていたのですが、オモニ会はどうするのか、各学校責任者に提案したところ、「オモニたちの問題でもあるから」「行ったり行かなかったりではダメ、毎回誰かが参加するようにしよう」ということで、六月一六日からは、毎週、交代で東京中高オモニ会が参加しました。
金オモニ会はどのように構成されているのですか?
金栄愛会長東京中高の場合は、都内の第一、第四、第五、中高の中級部、その中級部出身の高一、高二、高三、西東京、埼玉、千葉、そして群馬、栃木、たまに神奈川とか他道府県から入学してきた生徒のオモニたちで、出身学校ごとに責任者のオモニがいます。三人副会長がいるのですが学校責任者を兼ねています。二〇一七年度は副責任者がいる学校もあって、常任委員は二三人で構成されています。その中で財政やオモニ会通信、写真撮影、会議の時の司会や書記などの役割が分担されています。
金「金曜行動」には、出身校単位で順番に参加したのですか?
金栄愛会長そうです。
初回は東京第五初中級学校出身のオモニたちが参加しました。私は当初、毎回参加するつもりはありませんでした。順番を一周するくらいまでと思っていたのですが、その間に広島や大阪の判決が出て、東京の裁判結果が出るまでは行こうということで、もう少し続けることにしました。勝って終わるつもりだったのです。ところがまさかの敗訴で。本当に不当判決で、これはもうやめられないということで、ずっと参加することになりました。
金毎週来るというのは本当に大変だと思います。
金栄愛会長正直な話、交通費もかかるじゃないですか。でも週に一回コーヒー一杯飲んだと思えば来られるかなと。習慣だったので、来なくなったら寂しくなるかもしれません。
学生、生徒たちのアピールがすごくて、自分の実体験を織り込んで話すのを聞きながら、ちゃんと勉強して自分を鍛えているんだなと思います。私たちの時は恵まれていたので、こういう対外事業はしなかったですよね。でも今の子たちは一人一人が外交官という気持ちで来ているのだなと。〇〇県出身から始まって、自分の先輩が母校の先生になるのが夢だったのに、統廃合でそれも実現できないような現実の厳しさを話したり、聞いているとウリハッキョを無くしてはいけないとつくづく思います。
広島の判決は朝鮮人への攻撃
金七月一九日の広島の裁判には行ったんですか?
金栄愛会長はい、行きました。あの時は会長になって二か月で、行かないという選択もありました。でも子どもたちの学習権をないがしろにされている一人のオモニとして、いてもたってもいられなくて参加しました。茨城からも数年前にオモニ会の会長をしていたオモニが東京駅から一緒に行きました。あの一泊二日の間に自分が大きく変わったと思います。行くまでは一人のオモニとして、初の判決だからどうしてもこの目で見たいという思いでした。ところが敗訴というあの悔しい場面を実際に体験して、これは自分一人の問題ではないと思いました。オモニたちの「苦労の末にこんな結果が待っていたの」という悔しい思いも伝わってきて。広島のオモニ会の方々がチョゴリを着て、無償化のバッジを胸につけて参加していました。その姿を見ながら、オモニとしてこの闘争をしてきたんだなと、私なんかまだ何もしてないなと思いました。あの時、東京は勝つからと、みな楽観視していたのです。でもあの悔しさを実際に見てからは、「私たちももしかして」と少し心が揺れました。
金周りの雰囲気も?
金栄愛会長あの時の写真を見ると晴れていて、空はきっと青かったはずなのですが、判決当日の記憶は全部白黒なんです。判決が出て、沈んだ気分で、朝青のトンムたちの怒号が聞こえる中で報告集会の方に移動していると、「共同通信」の女性記者が「ひどい判決でしたよね」って声をかけてきて、東京中高オモニ会の相談役と三人で一緒に話しながら、そんな見方をしてくれる日本人もいるんだとちょっと驚きました。日本の人がみんな敵に見える中で、そうして共感してくれる日本の人がいることがすごく心地よかったし、裁判所はああいう判決を下したけれど、そうじゃないと思っていてくれる人がいたことがうれしくて。その女性記者とは大阪の判決の時にも会って「良かったですね!」って声をかけられて、「ありがとうございます!」って答えながら、胸がいっぱいになりました。
金広島の裁判の後の沈んだ空気を、オモニ会の会長の一言が一蹴したと聞きましたが。
金栄愛会長そうなんです。広島の学校での夜の報告集会は、何とも言えない、意気消沈した空気でした。暑い日で湿気があって、撮った写真もかすんでいるような。でもそんな中でも広島オモニ会会長の力強い言葉を聞いた時は、やはり朝鮮のオモニは強いと思いました。
金どんな言葉だったんですか?
金栄愛会長「冗談じゃない!涙を流している場合じゃない」。底力を感じる言葉でした。そのあと、愛知の弁護団の方が力強い言葉で皆を力づけて、ほかの地域からきている方たちも一言ということで、私も演壇に立ってたどたどしく話しました。それまではウリハッキョに対してここまでひどいことをするとは思ってもいませんでした。あの時に私も闘う覚悟を決めました。
金負けたことはもちろんですが、何が一番悔しかったのですか?
金栄愛会長十年以上も昔の朝銀の話をもち出して、私たち朝鮮人を攻撃したんですよね。それがまず頭に来たし、怖いというのも感じたし、でも絶対負けられないと思いました。変えようがないでしょ、私たちが朝鮮人に生まれたことは。大きなショックでした。
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