朝鮮学校の良さ発信して連帯広げ、世論で敗訴覆そう
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インタビューを終えて
金淑子
一一月末に、大阪・生野区のご自宅にお邪魔して、話を聞いた。仲間で朝鮮語の勉強をしたり、忘年会をしたりするという部屋の周りはたくさんの本で埋め尽くされていた。自宅にこんな部屋があることが、長崎さんの生き方を象徴しているように感じた。
質問すると、少し早めのしっかりした口調で、必ず体験を交えた話が返ってくる。その場の、怒りで押し黙った姿や笑い声、驚きや涙をこらえる表情が目に浮かぶ。彼女を突き動かしたのは韓国の政治犯や、演劇「在日バイタル」に出てくるようなハルモニ、朝鮮学校に通う屈託ない子どもたちら、抑圧されながらもたくましく生きる隣人だった。
人にはそれぞれ「こういう生き方をしたい」という自分なりの哲学がある。金を儲けて金銭に縛られない生き方をしたい、権力を握って社会に大きな影響を与えたい、有名になりたい…など。幼い頃の環境や経験がそんな思いを育むのだろうが、長崎さんのそれにはキリスト教の教えと、関東大震災の時にみんなが「朝鮮人が殺しに来る」と言っても最後まで「それは嘘だ」と言ったおばあさんの存在が大きく影響しているのだろうか。大学で、在日朝鮮人留学生の韓国政治犯の支援運動に関わって以来、住居を決めるときも、子どもの教育を考える時も、保育所で働く時も、常に在日朝鮮人と向き合ってきた。今も仕事をしながら、「差別する日本人」と「かわいそうな在日朝鮮人」というステレオタイプのイメージを克服し、対等の関係を築くために東奔西走する。長年の活動を通じて出会った人々の怒りや悲しみや喜びをいっぱいに収めた深い懐と、くじけない強さ、訴えが紋切り型や糾弾型にならないように配慮して相手の共感を呼ぼうと、常に対等の立場を貫く姿勢が、頼もしくて、温かかった。
「高校無償化」の裁判は、後がないような厳しい状況に追い込まれている。「朝鮮」「総連」と付くものには、何をやってもかまわないという風潮はますます浸透して、すべての差別は問題視されることなく見過ごされる。世論を巻き込んで訴えて行かなくてはいけないのはわかっているが、公開授業や街頭宣伝など、できることはこれまでだってやってきた。これ以上何をどうすればいいのだろうかとため息が聞こえてきそうな今日この頃。
今大切なのは、長崎さんのように勇気を出して行動することなのだろう。拉致発覚後、バッシングの嵐が吹き荒れる街頭で長崎さんは、「拉致問題は悲しい問題で解決すべき問題だ、でもこういう報道が流れたときに矛先が向けられるのが在日コリアンの子どもたちだ、それを私たち日本人は分けて考えなくてはいけない」と訴えた。彼女の手を取って「あんたは日本人やのに、こういうことを言ってくれて。うちの孫がハッキョに行ってるんや」と言って涙ぐんだハラボジはどれほど励まされたことだろう。長崎さんも主張の正しさを再確認して、力を得たのではないだろうか。
来年(二〇一九年)には大阪で大きなイベントを予定しているという。厳しい中での勇気には、大きな力を得る。逆風が強ければ強いほど、しっかりと手を取り合って、より大きな声で、私たちの主張を人々の耳に届けなくてはいけない。53
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