創立60周年迎えた朝鮮大学校:施設建設に 励んだ 先輩たち(続・寄宿舎編)
大学草創期、施設の建設に励んだ学生たちの気概、その苦難と喜びを探る連載四回目。今回は、その続編として、「新しい世代」(現在の「セセデ」)一九六二年二月号からの抜粋。
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大学草創期、施設の建設に励んだ学生たちの気概、その苦難と喜びを探る連載四回目。今回は、その続編として、「新しい世代」(現在の「セセデ」)一九六二年二月号からの抜粋。
在日同胞たちの生活の場、民族権利を守り祖国統一を促す闘いの場には必ず人々を力強く鼓舞激励する素晴らしい音楽があった。しかし長い歳月が過ぎ、世代が大きく変わる中、忘れ去られたうた歌が少なくない。
長らく教育で空白があったわが県においても、県下四万同胞の注目と関心が集まる中、学校建設委員会が一一月二七日(一九五五年)に結成され、歴史的な第一歩を踏み出した。この学校建設運動を飛躍的に組織、展開させるため、県本部では一一月二九日、県下各支部の総務部長と各単一団体による会議を招集し、生活擁護運動の最重要事業として取り組むことを討議、意志の一致をみた。
去る五月二九日に「四日市朝鮮初中級学校創立七〇周年記念事業実行委員会」が発足された。記念祝典は七〇周年(九月一日)を迎える九月一八日に行われる 。そこで十分とは言えないが、七〇年史を調査した成果を何かしらの形で出せればと思う。
二月二七日に日朝友好三重県民会議の第三八回総会が行われ、総会後の記念講演にお声がかかり、「四日市朝鮮初中級学校七〇年の歩み~朝鮮学校の存在意義とは~」という題でお話しさせていただいた。
静岡チョジュンの はじまり ⑦。昨年度恋愛騒動を起こした李誠弼先生と李星麗先生が東京へ転勤させられ、他にも朴世辰、金科力、夫永實先生も静岡チョジュンを離れる事になりました。みんな期待された先生達なので、静岡チョジュンとしては痛手です。代わりに、新任の金斗千、朴美愛、金兌順、金永分先生と三多摩から私と同窓の朴珠玉先生が赴任してきました。
県は一九六六年四月二二日に現地調査を行った。私立学校審議会への諮問が行われ、結果「認可を可とする」答申がなされたが、別途誓約書を提出させるという条件を付けた。この誓約書の提出過程でハッキョと県の間で攻防があった事が資料からうかがい知れる。
各地の朝鮮学校で運動会が行われるようになったのは、いつからなのだろうか。管見の範囲ではあるが、一九四〇年代の運動会の記録は見つけられていない。運動会を行うには、それを行うだけの運動場のような広い空間が必要である
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