創立60周年迎えた朝鮮大学校:施設建設に 励んだ 先輩たち(続・寄宿舎編)
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2号館3号館の建設
- 着工 1961・11・23
- 竣工 1962・3・31
- 2号館・収容人員 210名
- 3号館・収容人員 96名
大学草創期、施設の建設に励んだ学生たちの気概、その苦難と喜びを探る連載四回目。37号では、当時の「朝鮮大学新聞」に載った寄宿舎建設のルポ、リポートを、前号(38号)には一九六二年五月五日、李珍珪副学長が寄宿舎竣工式で代読した学長報告の抜粋を紹介した。今回は、その続編として、「新しい世代」(現在の「セセデ」)一九六二年二月号からの抜粋。タイトルと中見出しは原文のまま。一部表記を読みやすいように漢字に変えた。[ ]内は編集部による。次号からは、講堂と研究棟(現在の図書館)編を掲載する。(記録する会)
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ルポ・寄宿舎を建てる朝大生
「新しい世代」編集部(同誌 1962・2月号)
「無謀な計画」
朝大生にかぎらず、在日朝鮮青年学生の多くは、あまりにもみじめで、不幸な日々を送ってきた。日本帝国主義のくびきから解放されて十七年にもなったとはいえ、まだまだこの日本では、朝鮮人に対する有形無形の差別と偏見がある。
…新学期[一九六三年度]に入学してくる新入生のために鉄筋コンクリートの寄宿舎を、大学建設委員会が来年の四月までにつくるという話が、学生の間に広まった。
建物は、二〇〇名の学生を収容する四〇〇坪の三階建て男子寮と、一〇〇坪の二階建て女子寮で、それぞれ鉄筋コンクリートの建物である。資金は同胞有志の基金をもって建てるという。
学生たちは、自分たちに希望と光明をさずけてくれた祖国に、なにをもって報いるべきかを考えた。学生たちは考えたすえ、新しく建築されるその寄宿舎を、自分たちの力で建てようと決意したのである。
「花畑や学校周辺の垣根をつくるというのなら、いままでにもつくった経験があるのだからできるかも知れないが、鉄筋コンクリート建ての寄宿舎をつくるとなれば、クワで土を掘りかえすように簡単にいくわけがないじゃない。第一にぼくたちに建築の技術と経験のある人間が何人いるのかね。」
これは当時「懐疑論者」であった政経二年の朴トンムの話だ。
また当時の自分を回顧しながら、政経一年の女の金トンムはこう言っている。
「朝大生が五〇〇名いる中で、何人が設計図を読み、技術を持っていたでしょう。われわれには何もなかったのです。第一、七〇パーセントの優等生を勝ちとることじたい難しいことなのに、そのうえ、鉄筋の寄宿舎を建てるなんてとんでもないと思いました。わたしは、作業に着手するそのときまで半信半疑だったのです」
しかし、自分らの力で建設しようという多くの学生の決意は強かった。「寄宿舎建設」問題は学級別に、全校的に何度も討議され検討された。
学生たちは、祖国の解放のため十五年間にわたって食うや食わずで、日本帝国主義侵略者とたたかい勝利した、不撓不屈の金日成抗日パルチザンたちのようにがんばれば、きっと自分たちの計画は達成されるだろうと固く信じていた。戦後の廃墟のなかで、技術も資材もなしに、自分らでもつくれる資材で建設し奇跡を生んだ共和国の青年のようにやれば、やってできないはずがない。自分たちを民族にたいする虚無感から救いだし希望と誇りをあたえてくれた祖国に報いるためにも、民族的な無自覚から解放されつつある新入生のためにも、朝大生たちは自分たちの力で宿舎をうち建てることを決意した。
朝大生の民族愛に燃えた情熱に感激した同胞建築家の金鼎宣先生は、寄宿舎の設計と建設のための全責任をかってでた。
力をえた学生たちは、建設のためのあらゆる準備を進めていった。まず重要な問題は、なんといっても、朝大生の大部分は技術と経験を持っていないということだった。事実、学生たち自身が調査した学生別の技術調査の結果は、それをはっきりと語っていた。電気溶接工、トビ職、土工が若干名で、自動車運転手は、二、三十名にすぎなかった。このことはしっかりと銘記しておかなければならない。もう一つは、学生の本分である学業を、建設問題とどう並行させるかということである。優等生七〇パーセントはどうあっても勝ちとらなければならない。寄宿舎の建設も、より早く、より立派に成しとげなければならない。すなわち、学びながら働き、働きながら学ぶという、困難で、やりがいのある仕事なのだ。
「わたしは、日本の建築専門家に相談してみたんですが、かられは絶対にできない計画だというんです。寄宿舎建設に必要な人員は延べ一万三千名で六ヵ月の月日がいるんですが、朝大生たちは来年巣立っていく先輩たちへの贈物にと、四カ月でやるというのです。日本の建築家たちは『それは無謀だ』というんです。しかしわたしは朝大生を信じています。かれらはきっとやり遂げるでしょう」と、現場を指導している金先生は語っている。
こうして昨年の一一月二三日、寄宿舎を自分たちの力で建設しようという朝大生の「無謀な計画」は実行に移されたのである。
労働の尊さ
作業に先だって学生たちは次のようなことを互いに誓いあった。
①期間前に完成させよう、②あらゆるものを最大限に倹約しよう、③安全作業、④立派な建物に仕上げよう。
現場の測量が終わると、まず地盤を固めなければならない。そのためには土地を掘りあげ、その中にコンクリートを流しこむ。作業には男女の区別がなかった。男も女も作業服をき、ヘルメットをかぶって、土も掘ればジャリ運びもする。
作業は学年別で約五十名の学生が一週間ずつ交代でする。作業は朝八時から夕方の五時までつづけられる。
先生方は作業期間の学生たちのために、作業後に補講を行うことを決意した。作業を終えた学生たちは作業期間中毎日、二、三時間の補講を受ける。このことはけっしてなまやさしいことではなかった。
女子学生たちも車をひき、シャベルを持ったのだ。地下三メートルもの下から土を上げる段になると投げたはずの土が地上に届かず、何度その土を頭からかぶったかも知れない。しかしだれも作業場から離れようとしない。作業での疲労は補講のときに影響を及ぼした。ついうとうとしてしまうのである。しかしそうなるたびごとに、学生たちは第二、第三の対策を練っていった。学生たちは補講のほかに、個別学習、自主学習をいっそう強化し、学級全体の集団学習を新たにつくって強化した。作業は目に見えて進んでいった。日がたつにつれて、作業になれるとはじめのころのような疲労を感じなくなった。コンクリートミキサーが二カ所に取りつけられ、鉄筋があちこちに林立していった。作業は、雨の日も風の日も休むことなくつづけられた。
「生まれてはじめてシャベルを掘ってみて、わたしは労働の尊さと、労働者のすばらしさを感じました。祖国の『千里の駒学級』や『千里の駒作業班』は、きっとこういう困難を乗りこえて勝ちとられるんじゃないかしら。とにかく、わたくしたちが今している作業は、わたしたちの今後の学習態度に大きな刺激となるでしょう。」と語る、文学部一年のある女子学生の感想は、けっして彼女ひとりの感想ではない。
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