ある韓国人が感じた!?ウリハッキョ⑤
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木の香りのする新しい鋭い鉛筆ではなく、
何日も誰かの手に握られて先が丸くなった
みすぼらしい小さなモンダンヨンピル(ちびた鉛筆)。
握るのもやっとの短い鉛筆を使って書く
字や絵の一つ一つが、
ある者には切実な願いであり、
ある者には絶望の果てに再び新しい力を得る
希望であることを知りました。
その願いと希望で、使えば使うほどさらに育つ不思議なモンダンヨンピル。
私は今それを通じて
朝鮮学校の子どもたちとその両親たち、
そして在日朝鮮人の人生に、真剣に向かい合っています。
白宇瑛・「モンダンヨンピル」運営委員
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その13・「蜂や蝶を呼び寄せ 心を伝えてと託すのです」
先週、二冊の本を読みました。
一冊は熱血青年が活躍するリアルな統一の話『青年、統一しよう』(ホン・ソンサ)という本です。
『青年、統一しよう』は統一のビジョンを持って、統一の日々を生きるために備える七人のクリスチャンの青年が一緒に書いた本です。統一朝鮮を夢見る青年たちの話を読みながら恥ずかしいような頼もしいような、一方で歯がゆいような気がしました。
ある日、急にやってくるかも知れない統一の日を、私たちはどんな姿で迎えるのでしょうか。互いに対して何も知らないまま、計り知れない誤解や警戒、葛藤やいさかいで統一とはほど遠い統一の日々を送ることになるのではないでしょうか。もしかしたら統一を後悔する日々を送ることになるかも知れません。
「平和を願うから、私は統一を願う」と言いながら、統一の時のためにしっかり準備していない自分を改めて顧みることになりました。熱血青年たちによって。
けれど一方で統一の時代を準備するために「北朝鮮」を知ろうとする彼らに、限られた情報しか与えられないこと、なので多様な視覚で見られない現実が歯がゆくもありました。南であれ北であれ、今よりはもっと開かれた社会になって、多くの情報が行き交うようになれば、もっと実質的な準備ができるはずなのに。
その歯がゆさの果てに、思い浮かぶ人たちがいます。私たちに南と北を越えた暮らしの姿を伝えてくれる人たち、すでに南と北すべてを故国として受け入れて生きる人たち、そうして少なくともその心の中では統一が実現している人たち、そして誰よりも切実に朝鮮半島の統一を願う人たち、他でもない在日朝鮮人たちです。
わたしたちがもう少しおおらかな心で、彼らが統一の橋を架ける大切な役割を果たせるように、受け入れて祈れれば本当に良いのにと思います。その願いがかなう日、日本の地での戦争のような日々を耐えて生きてきた彼らに「私たちが祖国の統一に重要なことを担当した」という自負心をもたらすのではないでしょうか。彼らが統一の橋を完成できる日がすぐにでも来ることを切に願います。彼らをただの異邦人ではなく、私たちの統一に決して欠かせない「ウリ」として受け入れることが、この社会で自然なことになることを願います。
もう一冊は、チョン・フィソン詩人の詩集「愛しい木」(創批)です。久しぶりに開いた詩集、慣れ親しんだ一編の詩に目が止まりました。
歌手・ペクチャの「愛しい木」という歌が好きな友人にプレゼントしようと買ったときに、自分用にともう一冊買った詩集でした。その友人が口ずさんでいた「愛しい木」は、チョン・フィソン詩人の詩集のタイトルで、その詩集の七〇ページに出てくる詩のタイトルでした。私の目と心を釘付けにした詩でした。
恋しい木
木は、恋しい木に寄り添えないから
切ない心を枝に託して
遠くから恋しい木に思いを馳せるのです
愛する木に寄り添えないから
木は はかない花を咲かせて
蜂や蝶を呼び寄せ 心を伝えてと託すのです
ああ、木は恋しい木があるから 風になびき
風に乗せてその香りを送るのです
せめて枝に思いを託して、蜂や蝶を呼び寄せて思いを伝えて、風がその香りでも運んで行くように…本当に恋しいなら私たちもそうしなくてはならないのに…そんなことを思いながらひととき考えに浸りました。
近頃「統一」と「在日同胞」というキーワードを考えながら過ごす私の目に、この詩が「わびしいながらも希望」なのは、「蜂と蝶と風」が私たちにもあるからです。私たちの「蜂と蝶と風」は、二本の木が互いに慕う以上に「私たちの二本の木が」がしっかりと結ばれることを祈っているのです。
ところで蜂や蝶を呼んで代わりにでも伝えてほしいそんな思いが、風に託してでも伝えたい香りが、あなたの心にもはっきりあるといえるのでしょうか?(「福音と状況」2・5)
その14・信じていた息子の「裏切り」
「ああ、どうして母さんはそうなの?」
息子から帰ってきた言葉にうろたえた昨日の朝、何となく自責の念にかられます。リンゴ一切れを口にしながら、当たり前のように投げかけた問いかけに、息子がめんどくさそうな表情で私に返した言葉でした。
昨日の朝、国会でテロ防止法案職権上程に触発された野党の議事妨害が五日も続いていると言う記事を見ながら「この国の平和のためには統一しかない」と思った母親が、あなたもそう思うでしょと言う気持ちで投げかけた質問でした。
「アイゴ、早く統一されなくちゃ、そうでしょ?」
日本にある朝鮮学校と同胞たちの平等な権利のために様々な交流事業を行う団体に勤務している私が、在日同胞の暮らしと朝鮮半島の統一を分けて考えられないのは当然です。「この地に平和…」これは私の信仰で必ず守らなければならないことなので、私にとって統一運動は信仰生活の一部分でもあります。
ところが将来に対する不安や失望で最近悩みの多い息子に、統一というのは「母さんの仕事」と、残念ながらそんなふうに思われたようです。 私がそう思うのだから、君もそう思っているはずだと当然のように信じていたのでしょうか?関心さえない息子になぜ…、なぜ…といくつかの質問をして、今朝、家族の中での小さい「分断」を作ってしまいました。でも今日中に私たちは、愛情と信頼を基に互いに話し合って「統一」するでしょう。 日が沈むように、憤りをいつまでも抱くものではないからです。 そして何より私たちは一つの家族ですから。
そうです。 私たちは一つでした。 南側の人々も、北側の人々も、異国の地に散らばっている多くの同胞も。 同胞に祖国は「一つ」でした。 特に植民地時代に歴史的な流れに押されて故郷を離れなければならなかった在日同胞に、祖国は明らかに「一つ」でした。 その一つであった祖国が二つなって、その間で道に迷うことになった在日同胞の境遇には胸が痛みます。未だに解放前の日本の植民地時代に留まっているようです。 同胞の共同体の役割を果たしている「朝鮮学校」は差別の中心に置かれているのです。「日が沈むように憤り抱くな」と言ったものの、日増しに深まる一方の憤りで一つになる時がくることを防いでいる私たちは、その差別の加害者でもあります。
日本政府は朝鮮学校を公式の学校と認めません。日本の教育課程に従わないからです。それで朝鮮学校は現在日本の学校教育法134条の規定によって「各種学校」に分類されています。 一種の職業専門学校のような概念ですね。それで卒業をしても大学に行くためには、大学の入学試験の前に資格試験を別に受けなくてはなりません。就職やその他社会生活全般にわたっても多くの制約が伴います。その上安倍内閣は、朝鮮学校を「高校授業料無償化」政策から除外する法令まで作って公表しました。「高校授業料無償化政策」は「各種学校」までも含む日本国内すべての高等学校に該当する制度であるにもかかわらず、唯一朝鮮学校だけを除いているのです。これは日本政府が「教育」ではなく「政治」の観点だけで朝鮮学校を眺めていることを示しています。法に背くこのような状況を指摘して改善を要求する日本人たちも多いのですが、相変らず朝鮮学校は疎外された状況です。
自分たちが行った過去の過ちを認めていない以上、自分たちが行った過去の過ちによって生まれた在日同胞社会をありのまま受け入れることは、日本政府としてはとても難しい事なのかも知れません。在日同胞社会の求心点になっている「朝鮮学校」は、今も賢明に耐えているのです。
日増しに厳しくなる朝鮮学校の状態と、それに耐えることに疲れて子供たちを日本の学校に送る同胞ももちろん多いです。「朝鮮学校で習った内容では日本の大学に入りにくいのではないか。 大学に行くために日本の学校に送るほかはない。」と言って朝鮮学校を離れたり、初めから選択しない親たちもいます。けれどその決定は、日本学校で自身のアイデンティティに悩み、差別に耐え抜かなければならない子供たちの辛さにつながります。
私には日本に住む同年齢の友達がいます。息子二人を育てる父親です。 長男が今回朝鮮学校を卒業します。 彼は朝鮮大学校に行きたかったのですが、日本の大学の入学試験も受けました。 そして堂々と合格しました。 友達に息子の朝鮮学校での成績を尋ねると、十四人の卒業生中一二番か一三番だと笑いました。 朝鮮学校で特に優秀な方ではないと苦笑いしました。そんな彼が真剣な表情で次のように言いました。
「朝鮮学校を出れば日本の大学に入りにくいからウリハッキョに送らないという親たちに証明して見せたかったのです。息子は朝鮮学校で優秀な方ではないけど、それでもこうして日本の大学にいい成績で合格できるということを」
堂々とした表情でしたが、その中に寂しさを感じました。何か一言力になる言葉を言ってあげたかったのですが、ただ肩をポンと叩きました。 私たちは友達だから…。
新学期になって寮に入るために今日、私の息子は家を出ました。 もちろん昨日の朝の私たちの小さな「分断」は夕食の席のおしゃべりで「統一」を成し遂げました。 また一学期の間離れている息子を送りながら、元気に過ごすことを祈りました。私の友達も、友達の息子も、私の息子と友人になるかもしれない「行けない地の多くの若者たち」もみな元気で過ごすことを願っています。 (「福音と状況」3・3)38