時代は変わり小学二年の孫がタブレットでゲーム
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金圭蘭・平壌から「今」を伝える・第26信(2016・10・8、11・30)
整理者:筆者の金圭蘭(東京朝鮮第三初級学校一八期・東京朝鮮中高級学校二一期卒業生)は、編者・金日宇の妹である。朝鮮大学校の工学部機械科に在学中の一九七二年春に帰国した。
長女夫婦と孫の五人で暮らしていたが、昨年末、アパートの建て替えのため長男の嫁の家に厄介になっていた。最近、仮住まいを探して移り住んだようだ。
今回は、一〇月八日付と一一月三〇日付でオモニと私に来た手紙に添付されてきた平壌リポートを紹介する。
原文は大方日本語で、一部単語は朝鮮語。書き手のニュアンスをそのまま伝えるため、誤字、脱字だけを直した。文中[ ]内と注釈は、整理者が付けくわえた。 (「記録する会」 キム・イルウ)
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もくじ
□オモニからキュラニへ(2016・10・4)
お誕生日おめでとうが、随分と遅くなりました。
八月一杯で今迄のケアホーム[デーハウスのこと]に通えなくなって、新しいところに移ることになり…今やっと落ち着いてきました。相変わらず右ひざはまがらず、階段の上り下りは一段ずつ、正座はできず…もう一度みんなに会いたい一心で頑張っています。
なんだかんだといっても一人で自由に歩けるよう、もう一度みんなに会うことを願っています。みんなによろしく伝えてください。元気でいることが何よりです。新しい家はいつできるのかな? それまで私もリハビリをして外出が一人でできるよう頑張ります。貴方たちも頑張って楽しみに待っていてください。
今日は風呂に入るのもヒザが曲がらないのでヘルパーさんにたのんで…火曜風呂、木曜掃除、金曜風呂(ケアホームで一日)で過ごしていますが、寒くならないうちに一人で行動できるよう頑張ります。
皆に充分体に気をつけて、またの会える機会を楽しみにしてお互いに頑張って過ごしましょう。
皆、頑張って次回元気な姿で会いましょう。
二〇一六年一〇月四日
□キュラニからイルウオッパ、オルケに(10・8)
荷物届きました。三家族で分けました。子どもたちは大喜びです。オモニの世話だけでも大変なのに、コマッスムニダ。写真の現像に手間取り、手紙が遅くなってしまいました。
万景台遊園地で撮った二枚送ります。
くれぐれも体に気をつけて、再会の日を心待ちにしています。
二〇一六・一〇・八
◎突然の四日間の休校
九月二七日から三〇日まで、小学校だけですが四日間の休みになりました。幼稚園が急に、二四日から月末までの休園になったばかりだったので、父母たちはびっくりしています。
一二年制教育制度に移行しながら、四月から九月までが一学期、一〇月一日から三月までが二学期になりました。昨年までは、八月の夏休み明けに試験が行われ、教科を終えると、次の学期に入って、適当に父母会を開いて、成績表を配っていました。今年からははっきり、一〇月一日から新学期です。それで、学校では、一学期間の成績、生活などを総括し、九月三〇日に父母会を行うことになりました。
父母会が終わると、健康と衛生問題が伝達されました。水は沸かして飲むこと、連絡ノートにはその日の熱、発疹の有り無しを記録することなどです。
診療所では、伝染病を防ぐための宣伝活動を行います。診療所に務めるウナも大同門洞の住宅地に赴きました。
父母会が終わり、道を歩いていると、家の中から、子どもを叱る声が聞こえてきました。父母会に行ってきた親なのでしょう。子どもを外に追い出しながら、「そんなに勉強したくないのなら、大同江でおぼれてしまえ…」。アボジは血相を変えて子どもを叱り飛ばしていました。
× ×
子どもたちは思いもしなかった連休を、もろ手を挙げて歓迎。チュウォニも大喜びです。親は、学生服の手入れに、カバンの選択、教科書とノートの準備に大慌てです。今年、建設されたミンドゥルレ学習帳工場からのノートも配られました。少し買い足さなくてはなりませんが…。一年生はたくさんのノートを使います。字を大きく書こうが、小さく書こうが、マスのなかだから同じなのですが、自分なりに節約しようとしているようです。①を書いて、②を書くときは、行をかえればいいのに、続けてびっしり書いています。先生たちはどう思っているのでしょう。
チュウォニは、休みの二日目は万景台遊園地に。テソンサン動物園の自然動物園に行こうと言っていたのが、そこは学校で行ってきたので、万景台遊園地で乗り物に乗りたいということで、そこになりました。託児所のチュヨン、テハの家のケヨンも連れて行こうということになり、楽しい一日になりました。
男連中、「二〇〇日闘争」に、北部地区の復旧建設で、みな忙しくチュウォニアボジもテハも時間がとれませんでした。ウナは診療所に時間をもらって、嫁のヨンスニと一緒に行きました。
普段の日なので、人も少なく乗りたい放題でした。娯楽場もやりたい放題、待ち時間ゼロ、鉄砲を撃ったり、オートバイに乗ったり。二~三時間遊んで、家から簡単に準備をしていった海苔巻き、ジャムパン、イカ味のコーンとジュースにコーヒー…。お腹いっぱい食べて、楽しい一日を過ごすことができました。
その一方で、二学期の準備をしていた子どもたちもいました。二学期で一番問題になるのが水泳です。二年生は七メートル、三年生は一五メートルです。二年生の一学期で、オール五点でも、水泳のために優等生になれない児童もいます。クラス四〇名位の中で、合格は三〇名いません。三分の一位は不合格で二点。体育は五点か二点かです。七メートルは目をつぶって、息を止め力いっぱい足をバタバタさせれば、どうにか合格できます。ところが一五メートルとなると…泳がなければなりません。二年生までは学内での判定なので先生が手心を、でも三年生からは区域の今日委員会が判定しますから、そうはいきません。だからといって、来年の夏になって急に泳げるわけでもありません。四日間の夏休みの間に、「猛特訓」っていうことになります。父母たちは自分たちも泳げないので、体育団に行って指導員たちに頼んで…。今から水に慣らして、来年まで一〇回位プールにでもと。一回二時間、二~三万ウォン、一〇回だったら…。頭を抱える父母たちもいます。
そして一〇月一日、ウナは診療所で受け持っている、チュウォニが通うキム・ソンジュ小学校に、一緒に出勤です。連絡ノートを点検し、飲み水、体に発疹があるのかないのか検査…全校生七〇〇人位ですから、大変なようです。
なんやかんや、二学期はスタートしました。(10・8)
□キュラニからオモニへ(2016・11・30)
一〇月四日付のオモニの手紙をもらって、一か月ぐらい過ぎてしまいました。今年の冬は「それほどでも…」と思っていたら、一三℃から急にマイナス六℃~〇℃に、ビックリしてオーバーに綿入りのジャンバーなどを出しました。急な寒さにも孫たちは元気に学校、託児所に、頑張っていきました。
一一月一六日は、「オモニの日」、母の日です。ウナ[キュラニの長女]、テハ[長男]、チハ[次男]の夫婦が集まって楽しい一日を過ごしました。ケーキにミカン、山羊肉の炒め物、はるさめ、餃子、ウインナーソーセージ、美味しくいただきました。
私は何日か前、いつだったかオモニたちがウリナラに来た時に一緒に行った温泉で楽しんできました。コ・ミョンファ先生と老人たちと一緒にです。平壌から一番近くにある温泉です。電話一本で、平壌駅まで迎えに来てくれるとのことです。料金は昼食付きで一二ドル。朝八時半に出発し、一〇時半ごろに着きます。温泉につかって、コカ・コーラを飲んで、ミカンをたべて、昼食は一時、一〇月末までは焼肉に冷麺、一一月からはチョンゴル、寄せ鍋です。午後、温泉に入る人は入って、三時ごろに出発し、五時前には家に戻りました。途中、カンソヤッスト[カンス薬水]に寄って、体にいいという水を飲みました。
チュウォニ[キュランの長女の長男]はもう小学二年生です。チュヨンイ[同次男]とケヨンイ[長男の息子]は三才六か月、ケソン[長男の二男]は、一一月二六日に二歳です。
チハ夫婦には来年の四月とか、また、男だそうです。
毎日午前中は一人で過ごします。七時半までには皆が出て行きます。部屋の掃除、台所の後片付、洗濯などを終え、八時半には、こたつの中で編み物をしたり、部屋いっぱいに日が当たるので日向ぼっこをしたり、午後にチュウォニが帰ってくると、宿題を見て、夕方になると買い物に出ます。
日によっては、知人と牡丹峰に行って、紅葉した木の下でお昼を食べたり、友だちの家に行ってコーヒーを飲みながらぺちゃくくちゃ…。送ってくれたコーヒー、節約しながら愛しく飲んでいます。
とにかく新しいアパートができるまで、健康が一番だと思いながら過ごしています。お互い元気で、オモニも頑張っください。健康に気をつけてください。ここのことは心配しないで、また逢う日を楽しみにしています。
アンニョンヒ。
二〇一六年一一月三〇日
◎小学二年の孫がタブレットでゲームを
一〇月三一日は、チュウォニ[キュラニの長女ウナの長男]の誕生日。ホヨン[キュラニの夫]が亡くなって一五日目に生まれた子どもなので、もう八歳になります。
年初から판콤퓨터[タブレットPC]を欲しがっていました。何回かの引っ越しのせいか、寿命なのかテレビの調子がよくないので、チュウォニの父親がテレビを買うためにと、どこからか用立ててきました。大きなのは無理、それでも何とか見られるから、代わりにタブレットを買うことになりました。手のひらより少し大きいくらいのタブレット。この中には、朝・中・日・英の辞典、幼・小・中の教科書、朝鮮と世界のおとぎ話、それにゲームまで、たくさんのものが入っています。いま、これがチュウォニの遊び相手になっています。
家に帰って来て、宿題を終えるとすぐに手に取ります。まずはゲーム、そして本。ところが三歳のチュヨンイ[チュウォニの弟]までが、自分でスイッチを入れて、三回か、四回指で押さえてゲームです。卵を籠に入れる、失敗するとフライパンに落ちて目玉焼きになるゲームです。それから鉛筆を一本ずつ拾うゲーム。私ははじめ字も読めない子どもが、母親が手を貸しているのかと思っていましたが、ゲームだけではなく、絵本も自分で探し出しています。びっくりです。
一一月一〇日、小学校で学父母会が行われました。実力をつけるために、三年生から各自にノートパソコンが必要だとのことです。学校の教室内を「網」[ラン]で連結しての授業がはじまるとのことです。今は子どもたちは画面を見ているだけですか、三年生からは自分でタイピングをしなくてはならないと。今年、すでに高級中学校では、一学期の期末試験はパソコンでしたと言っていました。
この日の父母会では、来年[二〇一七年]の三月まで、学校も体制を整えるので、各家庭でもそのように準備するようにと、話していました。
私が東京第三に入る前まで、各家庭にテレビがなく、一九五九年一二月に、帰国船が出る場面を学校に集まって観たと記憶しています。
ここでも時代は急速に変わろうとしています。各自にパソコンなんて…。しかし、子どもたちの順応は早いですネ。
◎一一月一六日は「オモニの日」
ここでは、一一月一六日が「オモニ[母親]の日」です。カレンダーも赤い日、休日です。昨年からだったと思います。日本は、五月の第二日曜日でしたっけ? 赤と白のカーネーション、今でも覚えています。
「第一回オモニ大会」で金日成主席が演説された日が「オモニの日」として制定されました。一一月に赤い日がないので、「オモニの日」を決めたのだろうっていう人もいます。その日は、結婚した人は夫と妻のオモニを一緒にお祝いします。子どもがオモニに尽くす日であって、夫が妻を労わる日ではないとのことです。
前日、市場に行ったら若い人、男の人でにぎわっていました。
妻と一二歳くらいの息子と買い物をする男性がいました。両手にビニール袋を持っていました。妻に「あと何を買ったら…」と聞いていました。息子が「アボジ、あれ買って!」と指さすと、男性は「お前に聞いていない」と。息子は不満顔、親子で母親の家に行くようです。
「なぜ、オモニの日なんてあるのか」と、ぶつくさ言いながら買い物をする男性の姿もありました。買い物に慣れていないようです。それでも両手にはいくつものビニール袋を下げていました。
女の子たちは、メモを片手に買い物をしていました。
オモニたちの日頃の苦労を少しは知ってくれればと思いながら、そんな光景を眺めていました。
そして、当日、キュランの家では―。皆が好きなカレーライスを作って(オッパが送ってくれたカレーの固形のルーを使いました)、ウインナーソーセージを焼いて皆を迎えました。長男は、炒めた山羊肉とキムチ、餃子を。二男はケーキとミカン、リンゴ酒を。チュウォニのアボジ[娘婿]は、ケーキとジュース、お菓子を持ってきました。テーブル一杯に広げて楽しい食事会となりました。皆が集まり、なんだかんだ話しながらする食事は、美味しい。楽しいひと時でした。
「オモニの日」万歳!!41
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