創立60周年 迎えた 朝鮮大学校:その苦難と喜び5
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もくじ
施設建設に励んだ先輩たち
=講堂・研究棟編=
*講堂・研究棟の建設
着工 1963・11
竣工 1964・5・28
講堂・625坪、座席数1300
研究棟・建坪400余坪
*現在の図書館
大学草創期、施設の建設に励んだ学生たちの気概、その苦難と喜びを探る連載五回目。37号では、当時の「朝鮮大学新聞」に載った寄宿舎建設のルポ、リポートを、38号には一九六二年五月五日、李珍珪副学長が寄宿舎竣工式で代読した学長報告の抜粋を紹介した。39号は、その続編として、「新しい世代」(現在の「セセデ」)一九六二年二月号からの抜粋を掲載した。今号では、「朝鮮大学新聞」に載った「講堂と第二研究棟(現在の図書館)建設現場ルポの全容を載せた。タイトルと中見出しなどは整理者による。 [ ]内は編集部による。 (記録する会)
ルポ・労働は過酷、放りだしたくなる時も… 「朝鮮大学新聞」(1964・2・25)
うなるコンクリートミキサー車、鉄筋を切る音、行き来するトラック、忙しく動き回る人々…。この日も建設場は、騒がしく、ざわめいていた。
卒業生を、自分たちの手で建てた講堂で見送ろうと、ハンマーとスコップを 持って、建設場に駆けつけた学生たちのたたかいは今日も新たな奇跡、新たな模範を創造しつづけている。かれらは物質的富だけではなく、精神的富を共に作り出している。
第二研究棟[現在の図書館]と講堂の建設がスタートして、四か月が過ぎた。学生たちは、困難なことをすすんで担い、辛い仕事も笑顔で立ち向かった。尽きることを知らぬ青年の気迫を発揮し「朝大速度」を創造した。
講堂と第二研究棟は、基礎工事を終え、それぞれ一階の建設にとりかかっている。
辛い労働、生まれて初めての体験で、疲れ、いうことがきかない身体にむち打ち、涙を流しながらもスコップを握り続けたトンム! 多くのトンムたちが掌の豆をつぶしながらも労働に従事してきた。この四か月間、越えなければならなかった苦難がどんなに多かったことか…。
× ×
朝八時半になると、現場事務所には労働服を着たトンムたちが意気揚々と集まってくる。すると誰とはなくうたい始める。この日の仕事が決まる。鉄筋の切断、鉄筋の加工、業者の手助け、コンクリートの運搬など、様々な作業に従事する。かれらは、働きながら技術を学ぶ。
仕事は、夕方の五時、時には一一時が回るまでつづく。彼らは風が吹こうが、雨が降ろうが、黙々とその日の課題をやり遂げる。その後、夜の補講に臨む。女子学生たちもだ。重い鉄筋を担ぐ。男子に負けまいと、どんなことでも進んで行っている。昨年、入学して来た一年生も頑張っている。
建設課の先生たちも称賛を惜しまない。
「私たちも大学生に刺激される。積極的に労働に励む頼もしい姿に力をもらっている。」
私たち朝大生みんなが自覚して建設事業に参加している。
「労働をするのは初めてです。実際はとても過酷です。何度も放り出して、休みたいと思います。そんな時、抗日パルチザンの艱難辛苦の歴史に力を得ます。」
一年生の言葉だ。
「三月に先輩たちを講堂で送りだすためには、これからも幾多の難関を克服しなければなりません。いかなる難関も必ず克服するでしょう。これが党と金日成元帥の愛に報いる道でもあるからです。」
政経学部三年生の決意だ。
× ×
今日も工事場は大学生の天をも突く勢いで沸き立っている。かれらは必ず予定した期日内に工事を完了させるであろう。それだけではなく、学期末試験でも大きな成果を達成するであろう。(朝文一年 ピョン・シンチョル)
*原題は、「建設しよう!」「自立更生の精神で!」「働く喜びを知った!」―天をも突く勢い沸き立つ講堂、第二研究堂建設場―
ルポ・「自立更生」の気概とロマンで沸く建設場 「朝鮮大学新聞」(1964・5・25)
新たに建設される講堂は、一、三〇〇の客席と映写室、放送室、録音室、公演準備室、機械室、オーケストラピット、ロッカー、冷暖房装置が完備され、映画、演劇、舞踊、音楽から講演に至るまで、様々なイベントを催すことができるようになっている。
特に三〇〇人の大合唱団の前で、踊ることができるようにするための七〇余坪の舞台は日本のどの大学にもない、大規模の舞台であり、映写はいうまでもなく、機械化された各種設備が整えられている。
また、第二研究棟(四〇〇坪)は、従来よりも整備され、規模の大きい「祖国研究室」、そして二〇〇余人が同時に閲覧できる図書館、六万冊の書籍を所蔵する書庫と二つの大教室が備わっている。
延べ坪一千坪の講堂と第二研究棟が五月二八日には完工し、雄大な朝鮮大学はより一層輝くであろうし、その存在を再び誇示することになるであろう。
昨年の一〇月一九日、韓徳銖学長の参加のもとに起工式が行われてから今日にいたるまで、工事は休むことなく続いた。学生たちは、「自力更生」の旗印の下、「最大限の節約と確信を!」、「継続革新、継続前進!」、「今日も二〇〇パーセント」、「朝鮮大学速度を創造しよう!」などのスローガンを掲げ、建設に取り組んできた。
この間、動員された総人員は延べ一万人に迫り、学生一人の労働時間は二一六時間に達した。教職員たちも学生たちを激励するだけではなく、学生たちの先頭に立ち、五六時間を目標に、模範的に労働に参加した。それらは約二千万円相当になる。
この七か月間は、実に青春の血が躍動し、ロマンと希望に満ちた誇らしいたたかいの日々であった。と、同時に度重なる難関とのたたかいであった。
一二月、一月、二月の武蔵野の寒風は、容赦なく私たちを襲った。雨が降り、雪が舞い、工事を妨げたことも一度や二度ではなかった。そんな時、朝大生たちは、吹雪にめげず、祖国の解放のために艱難辛苦をはねのけたたかったパルチザンの隊員たちの姿を思い浮かべ克服した。建設工事だけではなく、勉学にも励み、六時間の自習など、膨大な課題をやり遂げた。
政経学部二年のチョ・プンジャクトンムは、手記に次のように記した。
「…私は高等学校を卒業して小さな繊維工場に就職した。労働とは、辛く恥ずかしいことだと思っていたが、ここでの労働は、楽しく、誇らしいことであることに気づいた。」
また彼らは、労働を通じて、植民地時代に父や母が「たこ部屋」に閉じ込められ、空腹に耐え、一六~一八時間強要されたことを思い、酷使した輩に対する怒りをあらわにした。
朝大生たちは、自らが汗を流し、講堂と第二研究棟建設に参加することによって、朝鮮戦争後、廃墟の中で手を携え復旧建設に立ち上がり、社会主義祖国建設する人民の創造的努力について実感することができた。特に、一九五七年、困難な時期に在日同胞子弟の民主主義民族教育のために教育援助金を送ってくれ、その後も一三回にわたり、三一億九、六八七万円余りを送り続けてくれた金日成首相の配慮がいかに大きく、ありがたいことかを知り、感謝の気持ちを抱き奮起した。
それで彼らは、昼食時間を惜しんで働き、夜の一〇時、一二時まで現場を離れようとせず、「日曜返上」が習慣化した。
高給をもらっているからではなく、自主的に労働に参加しているとの話に、日本の業者たちも驚きを隠せずにいる。
朝大生たちは今、ロマンと希望に満ち、総連七全大会を控え、最後の工事に勤しんでいる。(文学部二年 ムン・チュンス)
*原題は、「自立更生」の気概とロマンで沸く建設場―落成まぢかの講堂、第二研究堂建設現場を訪ねて41