互いを思い「尊厳」守る それが私たちの統一
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日本に住む私たちにとって統一とは何なのか? 改めてそんな問いを胸に韓国の大学生と在日本朝鮮留学生同盟のメンバーたちによる「ウリトレ(私たちは同世代)」に同行した。(リンク参照)
一日目(9・14)に訪ねた京都コリアン生活センターエルファでは日本の制度からはじき出された在日朝鮮人の現状について改めて考えた。
在日外国人の六五歳以上約一五万四千人のうちの八〇%が朝鮮・韓国籍で、そのほとんどが国籍条項のせいで社会保障制度から除外されている。ようやく国籍要件のない介護保険制度が施行されたものの、▽無年金者に月五千~七千円の負担は重すぎる、▽就学率が低いため保険の情報を得る術がない、▽生きて来た歴史も背景も違うため日本人の集団に溶け込めない、などの理由から介護サービスを受けられないまま家に閉じこもるケースが多い。デイケアセンターで、▽興奮すると朝鮮語が出るので、朝鮮人であることが知られないように決して口を利かなかった、▽書芸の時間になると「用事を思い出した」と突然帰るので「帰宅願望」の症状を疑われたが、実は学ぶ機会がなくて字が書けなかった―というハルモニ、ハラボジの話はやるせなかった。
京都第一初級学校に対する在特会による襲撃事件の話では、「朝鮮人って悪い言葉なん?」と子どもに聞かれて愕然としたと涙ながらに訴えたオモニ、四時間授業で一時間一本ずつ使いなさいと四本の鉛筆を削って持たせているのに二本しか使った様子がない、「どうして二本は使わないの?」と聞くと、「(尖った鉛筆で)在特会と闘うため」と答えた低学年の男子児童の話に目頭が熱くなった。裁判で戦おうという意見に、「事件当日、警官は隣に立っているだけで何もしてくれなかった、日本の権力が守ってくれるとは思えない」「朝鮮人の裁判は勝ったためしがない」と後ずさりする保護者達。しかし行き所のなかった高齢者にはエルファが設立され、襲撃事件の裁判では勝訴を勝ち取り、民族教育が大切にしてきた「民族の尊厳」を守り抜いた。
三日目に訪ねたウトロでは植民地時代、戦争のためにこき使った朝鮮人たちを追い払うように撤去させようとした。司法も彼らを守ってはくれなかった。ところが韓国政府と市民たちが手を差し伸べてくれた。ウトロは韓国市民たちにとって小さな統一の象徴となり、今年六月には、「セウォル号」沈没事件で生き残った生徒たちが心の傷をいやす活動の一環で訪ねてきた。その時彼らが倉庫に描かいた自画像が、穏やかなのが救われる。そうして同じ民族に生まれた縁を大切に互いが思いやって生きていければいい。それが統一なのだろう。
二日目、円山音楽堂にウリトレメンバーと京都朝鮮中高学校生徒、同胞、日本人支援者たち四百人が集まった。歌をうたい気勢を上げた後、四条通りから河原町通りを市役所前までの繁華街を「朝鮮半島の平和と統一」をアピールしてパレードした。
生徒の減少や慢性的な財政難で朝鮮学校を取り巻く現状はますます厳しい。けれど難局を打破する力を備えた頼もしい世代が育っている。
明日から第三回南北首脳会談も開かれる。朝鮮人が力を合わせて未来を切り開くときがようやく来たのだ。曇り空で蒸し暑かったが、「平和」を叫ぶ声は明るかった。(編集部・金淑子)51
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