東京朝鮮中高級学校、看板の塗り替え
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金日宇&慎吉雄・東京朝高18期生
一〇月一九日、仕事先に向かう前に、東京中高に寄った。校門の看板を塗り換えている。深くかぶった帽子から白髪がはみ出ていた。
「アンニョンハシムニカ」と声をかける。「イルウトンム…今日は…」。東京朝高の五期生、美術の教員として長く在職した、顔見知りの韓東輝先生だ。
「ちょうどよかった、写真を…」
先生が持ち歩いているデジカメで、作業の様子を何枚か撮る。
「今日はこの看板を撮りに来た」というと、「何度か警官が見回りに来て…」。話がかみ合わない。
「警官が」というのは、看板が落書きされ、塗り替えているとのことだ。
「トンムは?」
数日前、朝大の図書館で、「解放新聞」を見ていたら、校門の看板の写真を偶然発見し、見比べてみようと、写真を撮りに来たと話した。
しばらくすると、校門から出てきた東京朝鮮学園の金理事長が話しに加わった。
「…運動会が七日で、その翌日の夜では…九日の朝に発見して…落書きを…」
作業の状況を見に来たのか管理課の韓先生も話の輪に。「酷い…」と一言。すぐにビニールシートで覆い…」
一週間前の一二日に学校に行った時、校門の一部がブルーシートが被されてているのを見ている。その時は、運動会の日、校門を飾った大きな大門を撤去するのに校門が傷つかないようにしたカバーを取り忘れたとおもって、通り過ぎていた。
「看板ごと取り替えようと思ったが、慎校長が『歴史がしみ込んだもの』だからと…原状回復することになった」と。
すると、韓先生は筆を休め、「…実はこの文字は」と、由来を語り始めた。
先生が平壌ホテルに滞在しているとき、ホテルの並びにあった文化会館で、退職して余暇を楽しむ筆の達人に頼んで書いてもらったというのだ。
「日本語は、私より三つか四つ若い方が、朝鮮語は別の…」
原寸大で書いてもらったものを板に載せ、なぞり字の周りを掘ったという。
金理事長は、「私も覚えています。先生が校内で作業していた姿を覚えています」と。
二人とも、「二〇年以上前では?」と言うが、それがいつのことだったか記憶にないようだ。
落書きをされたのは、校門の右側の日本文の方、バインダーで削ったせいか、少し黒ずんでいた看板が木目も鮮やかに、よみがえったようだ。
看板が「解放新聞」に載ったという記事は、都立から自主学校に移った一九五五年四月の入学式の報道。「入学生九四〇人を迎え」「東京中高級学校入学式」、「五五〇万円の予算で校舎増築にも着手」とのタイトルが付されている。
「…九日、新入生九四〇人を迎え、全中高級生二千二六一人、先生(六四人)と多数の学父兄の参加のもとに入学式を挙行した。この日、すべての学父兄、先生、生徒たちは、あらゆる困難のなかでも民族教育は死守し、共和国の公民になることを再び誓った。」(1955年4月14日付)
写真には「『東京朝鮮中高級学校』―新しい看板を見ながら(九日に写す)」との説明が付されている。
それまでは日本語で「東京都立朝鮮中学校」、「東京都立高等学校」となっていた。「新しい看板」は、ウリマルで「동경조선중・고급학교」になっている。それがいつから今のように「동경」が「도꾜」になり、「中」と「高」の間の「・」が取れ、「도꾜조선중고급학교」になったのかは定かではない。
慎校長に聞いてみようと思う。
*原稿を慎校長に送ったら、次のような「物語」が寄せられた。
解放後、創立された朝鮮学校の校名は「東京朝鮮中学校」、「西今里朝鮮中学校」、「西播朝鮮中学校」のように日本の地名を使い、どの地域の朝鮮学校であるかを表し、ほとんどの地域で読み方は漢字を朝鮮語読みしていた。「동경조선중학교」、「서금리조선중학교」(大阪西今里)、「서파조선중학교」(兵庫県西播磨)のようにである。ちなみに「서금리조선중학교」は中大阪朝鮮中学校になり、「서파조선중학교」は「세이방조선중학교」となった。
解放後から一九五〇年代まで在日朝鮮人社会では日本の地名を朝鮮語読みだった。「大阪に行く」は、「대판에 가다」であった。広島は「광도」、下関は「하관」…。
しかし、一九五八学年度からほとんどの朝鮮学校では日本の地名を日本語読みどおりに表記するようになった。一九五八年三月卒業の朝高8期生の卒業アルバムは「동경조선고급학교제8회졸업기념」である(1958・3)が、朝高9期生のアルバムは「도꾜조선고급학교제9회졸업기념」になっている。
東京朝鮮中高級学校の校歌も現在歌われている「♪빛나는 그 이름 도꾜조선중학교」でなく「♪동경조선중학교」であった。
しかし韓徳銖議長が作曲した「우리 자랑 이만저만 아니라오(我が誇り限りなし)」はなぜか「♪북해도서 구주까지…」だ。
校名の「도꾜조선중고급학교」であるが、一九五五年四月に都立を脱却し自主学校になったとき、教育法での一条校でなく各種学校として認可されたことによって小・中・高校に相当する教育段階を初中高級と名乗るようになった。(朝鮮学校は学校法人として学校経営をするため各種学校となっているが、朝鮮学校設立の歴史的経緯を考えるとき一条校に準ずる処遇を要求しており、「高校無償化」からの排除は言語道断である。)
中学、高校を併設しているほとんどの日本学校の校名は「帝京中学校・高等学校」、「有明中・高等学校」などで「・」で併設校であることを表している。このような表記法でいえば、「東京朝鮮中・高級学校」正確であると思われるが、「・」を省略した経緯は分からない。
朝鮮学校は、日本の学校同様六・三・三制に則っており、朝鮮民主主義人民共和国の一(就学前)・五(小学校)・三(初級中学校)・三(高等中学校)とは異なる。52
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