朝鮮学校は自尊心の結晶 在日同胞一丸で守るとき
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一〇月三〇日、朝鮮学校への「無償化」制度適用を求める裁判で東京高裁は、朝鮮学園の控訴を棄却した。九月には大阪地裁の勝利判決が、控訴審で覆された。四月の愛知地裁も昨年夏の広島地裁も敗訴した。
ここ十数年、朝鮮学校の生徒数の減少は著しく、地方では教員たちの給料もままならない。一九九〇年代以降各地に広まった自治体の助成金支給も次々と中断され、朝鮮学校の運営はそれこそ火の車だ。行政がだめなら司法にと、生徒が原告となって起こした裁判でも、朝鮮学校はコーナーに追い詰められている。
日本の権力は、なぜ朝鮮学校だけを制度から排除してまで朝鮮学校をつぶそうとするのか、「北朝鮮や総連との密接な関係」がどうしてそれを正当化する理由になるのか、高校生の修学旅行の土産を税関が没収するなどという幼稚極まりない国家機関のいじめさえ黙認させる「朝鮮」とは何なのか?
「朝鮮」の起源は、一九世紀末の日本の朝鮮半島への干渉にまでさかのぼる。それは間もなく侵略となり、一九一〇年には植民地統治として制度化され、朝鮮人は日本人より劣る「二等国民」に位置付けられた。「朝鮮」=日本の支配を受ける存在、常に日本の下に位置するものという認識は、日本社会の奥深くに根付いた。
一九四五年八月、朝鮮は植民地統治から解放され、日本に残った朝鮮人たちは、取り戻した自尊心の結晶として、自らの文化を次世代に伝えるべく各地に朝鮮学校を建てた。ところが米占領軍は、社会主義傾向の強かった在日朝鮮人社会を弾圧対象とし、米占領軍の指令を受けた日本は、抵抗する朝鮮人を弾圧して朝鮮学校を閉鎖した。解放からわずか二年半で、再び踏みにじられた朝鮮人の尊厳。一九四八年の4・24教育闘争は、ようやく取り戻した自尊心を守ろうとした闘いだった。
一九五五年に総連が結成され、米占領軍の弾圧のもとで都立、分校など形式を替えて生き残ったいくつかの朝鮮学校が、再び自立した民族学校となった。ところが自治体からのすべての援助が打ち切られると、たちまち経済難に陥った。そんな民族教育を蘇らせたのが、一九五七年四月に送られてきた朝鮮民主主義人民共和国からの教育援助費だった。戦場となり廃墟となった朝鮮が、停戦から間もないこの時期に送ってくれた一二万ポンド(一億二千万円余り)が、われわれ朝鮮人の自尊心を守ってくれたのだ。これは一九九〇年代後半の「苦難の行軍」と言われた深刻な経済難の時期にも途切れることなく送られてきた。
一方、植民地時代に抗日闘争を展開した金日成将軍率いる朝鮮は、日本にとって冷戦でも敵対勢力だった。日本は、「KAL機事件」など朝鮮半島の南北対立を利用して、植民地時代の「朝鮮」のネガティブイメージに「無頼漢」のイメージを上塗りし、貧しさへの侮蔑を煽った。拉致問題の発覚は決定的だった。さらに「核」「ミサイル」と、「朝鮮」の「悪行」には、もはや「なぜ?」という疑問さえ提起されなくなった。「そういう国だから」というレッテルが貼られたのだ。教育助成金に関する一連の判決文が指摘する「北朝鮮」や「総連」は、日本の「朝鮮」イメージを詰め込んだ名称となった。
しかし私たちにとって北朝鮮=朝鮮民主主義人民共和国は、停戦後四年足らずの厳しい時期に莫大な支援金で民族教育を救い、その後もことあるごとに朝鮮学校を支援して、在日朝鮮人の自尊心を守ってくれた唯一の祖国だ。さらに総連は、在日朝鮮人を代表する民族団体であり、朝鮮学校はその指導の下に運営されている。おかげでわれわれは今も朝鮮語を話して自らの歴史を理解し、朝鮮人に生まれたことを卑下せずにいられる。
今質すべきは、自分たちの朝鮮人に対する迫害は棚に上げて、「北朝鮮」「総連」との関係を「不正」とする根拠ではないのか。
日本は「朝鮮」へのネガティブイメージを決して変えようとしない。「北朝鮮」だけではない。同盟国の韓国が求めた日本軍「慰安婦」制度への謝罪も拒絶し、今回の徴用工の損害賠償を認める韓国大法院(最高裁)の判決も非難して、不快感をあらわにしている。かつての日本の朝鮮侵略について問いただす者を拒絶するのは、日本の一貫した態度であり、朝鮮学校が排除される要因の一つだ。
朝鮮人の尊厳を掛けた司法での闘いは極めて厳しい状況だ。
今こそは学校関係者や日本の支援者だけでなく、総連の活動家や卒業生ら在日朝鮮人が一つとなり、ともに植民地時代を経験した韓国の協力も得ながら、「北朝鮮」と「総連」を前面に出し、日本の司法が言う「不正」の根拠を質すべき時ではないだろうか。
今、初心に返って団結して闘うかどうかによって、司法の闘いを越えた時の、次の景色が変わっているように思う。(編集部・金淑子)52
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