平壌から「今」を伝える #第37信(2018.11.12)
スポンサードリンク
金圭蘭:第37信(2018・11・12)
整理者:筆者の金圭蘭[東京朝鮮第三初級学校18期・東京朝鮮中高級学校21期卒業生]は、編者・金日宇の妹である。朝鮮大学校の工学部機械科に在学中の1972年春に帰国した。
長年住み慣れたアパートの建て替えのため、仮住まいで長女夫婦と一緒に暮らしている。近く、新築のアパートへ転居するようだ。
原文は大方日本語で、一部単語は朝鮮語。書き手のニュアンスをそのまま伝えるため、誤字、脱字だけを直した。文中[ ]内と注釈は、整理者が付けくわえた。 (「記録する会」 キム・イルウ)
会いたい、オッパ(兄)とオルケ(兄嫁)に
猛暑の夏も去り、日々寒さが増す今日この頃、お元気ですか?
前回送ってくれたオモニの写真―若返ったような? 安心しました。オモニと祖母がそっくり、ビックリしています。
ここの家族は皆元気です。
チュウォニ[キュラニの長女の長男]は四年生、チュヨンイ[二男]は幼稚園、ケヨンイ[キュラニの長男の長男]は最近、ピアノを習いだしたとか、ケソンイ[次男]、ケスンイ[キユラニの二男の長男]も健康に育っています。
新居のアパートは配水管と上下水道の工事が終わっていません。住民たちの話し合いで、一〇月三〇日に二二階の一号(部屋が三つ)に決まりました。
チュウォニの誕生日の日に撤去し、三年後の誕生日の日に配置!冬なのでどうにもならず、このまま仮住まいで年を送ることになりそうです。
テハ[キュラニの長男]とチハ[次男]は忙しく働き、嫁のヨンスニも新しい職場で奮闘! なかなか会えずにいます。いずれにせよみんな元気です。
くれぐれも健康で!
二〇一八年一一月一二日
◎オッパの同級生と紅葉狩り
一一月三日、土曜日。牡丹峰の紅葉を見に行きました。
何日も前から考えていました。昨年一〇月二九日に行った時が二、三日早く、あくる日から雨がって急に寒くなって最高潮の紅葉を逃してしまったので、今年は慎重に…一〇月の末に急に気温が下がって(一℃か二℃まで)、雨も降って、三一日はチュウォニの誕生日で、あくる日の一一月一日に決めたところ、天気予報で二日から気温が上がるというので、三日の土曜日になりました。
いつものメンバーでと、連絡を取り始めたものの色々な事情でキャンセル、それでも行こうと私はカプスニ(チロリン村[平壌の郊外)に暮らしていて中々、川[大同江]を渡ってくる機会がないというので)に連絡、そして牡丹峰の近くに住んでいるホン・スッキィ。オッパの同級生のパン・スミトンムが何人かに連絡するからって、地下鉄の凱旋門駅に一〇時、簡単なおやつを持って、お昼は食堂でということに決定!
カプスニとは私の家の前で待ち合わせて、大同江を渡ってトロリーに乗って一〇分前に到着。一〇時の鐘が鳴るのに誰も現れない!
ホン・スッキィは急に血圧が上がって…と電話が、コ・ミョンヒィ先生[キュラニの東京朝高当時の恩師]も事情ができて…。
二人? 二人での散歩になっちゃうとカプスントンム!
「スミトンムは必ず来る、後は誰かが? 五分ぐらいしてチョ・クァンスクトンムとヒョン・ミョンシルトンムがニコニコしながら現れた。そしてパン・スミトンムとソン・ウォルソントンムが…。パン・スミトンムはコ・ミョンヒィ先生が見えなかったのですごくがっかりしていた。そしてソン・イルホ、リ・グァンイル、リュ・イルトンムたちも事情があるんだって。
「何だ、男は俺一人か! 俺、帰る」
ニョドンムたちが「いいじゃない、隊長同志! 女性五人に囲まれて…」
パン・スミトンムをやっと説得して牡丹峰の坂道を登っていった。21期四人と、18期二人で、それぞれ話をしながら坂道を…カプスニは一〇年ぶりだとか。
空気が良い、景色も良い…。三つも年上のオッパの同級生はさっさと登っていく。私とカプスニは「脚が痛いね、お姉さんたち元気ね」って、乙密台で待っていてくれて、紅葉はまだ早いって。それでもとても天気はいいし、日が当たって本当に気持ちが良い!
乙密台でまずワンカット。通りかかった女性に「『乙密台』の字が入るように…人は上半身だけでも…」と。女性がスマホを押した。バタバタと七、八枚?!
パン・スミトンムは解放塔に行って写真を撮ろうと、先頭に立った。落ち葉のふさふさの上を歩く、気持ちが良い、本当に良い。解放塔に行ったのは、何十年ぶりだ。
第三初級学校のとき、よく描いた解放塔だ。塔に「解放塔」と書いて、てっぺんに赤い星…絵が苦手でも誰でも描けた「解放塔」だ。何十枚描いたか!
そして一九八九年だったか、拡張工事で、毎晩、「夜間突撃隊」で背に土とかブロックを担いで運んだ、私の汗もしみ込んでいる「解放塔」だ。
スミトンムがスマホを向けた。ここでもワンカット。「誰に頼もうか…」「あそこに中学生か…」私たちが呼んでいるのに、知らん顔して通り過ぎた。その次はお爺さんだ。「大丈夫かな?」
パン・スミトンムが説明している。
「解放塔の星まで入るよう、人は上半身だけでも…」
老人はパチリと、そして「もう一枚」と言いながらもう一回パチリ! 正確に、一枚ずつだ。前のパチパチパチではない。
「満足ですか?」と聞きながら、「私八二歳です」と言って、去っていった。一〇メートルぐらい走ると、一〇メートルぐらい歩いて…自分なりの健康法なのだろう。
一一時半近くになっていた。
ヒョン・ミョンシル姉さんが「お弁当を持ってくればよかった。こんなに暖かくなると思わなかったから…二、三日前までは一℃だとか、一〇℃だったから…」。
パン・スミトンムが「どこかの食堂に行こうか…」って。
「蒼光通りの内臓汁? 八〇〇〇ウォンだよ」「高いよな! 一か月の年労保障が一二〇〇ウォンだから…半年分以上だよ…」
私は一九〇〇ウォンそれでも四か月分だ。それを考えたら何も食べられない!
チョ・クァンスク姉さんは「地下鉄の…今から行っても一二時過ぎちゃうから…だめだね」
私とカプスニは、「せっかく牡丹峰に来たのだから、もう少し散歩をしたい」と。
それなら凱旋の方に戻ろうということになって、またふわふわの落ち葉の上を…良いね。
乙密台に近づくと、「凱旋門の内臓汁の店は? 四五〇〇ウォン…嫌な臭いもしないし」と、パン・スミトンム。チョ・クァンスク姉さんは「おなかすいたね…」。パン・スミトンムは「五〇〇グラムで三〇〇ウォンの焼き芋にする?」、「そんなこと言うと、キュラニがきって書いて送るよ」と、ヒョン・ミョンシル姉さん。チョ・クァンスク姉さんは「是非書いて…」。
なんだかんだ話しながら牡丹峰から下りてきたら管理人がいた。入山料を払っていない。二〇〇ウォン。知らんぷりして通り過ぎた。
競技場にそって凱旋門へ。
私が「もう一つ先に行かないと、紅葉見られないよ」と言うと、パン・スミトンムは「紅葉でもなんでも落ち葉でしょ、俺たちみたいに咲いて散るのだから…」。皆で大笑いである。「21期といると面白い…これからは18期と21期と合同で同窓会しようか…」と、ヒョン・ミョンシル姉さん。
そして凱旋内臓汁の店に! 大衆食堂、満員で空席待ち…。五分ぐらいしたら、「二一番六人」と呼ばれた。六人が一緒のテーブルに座れないので、老人たちに席を代わってもらった。
座った途端、チョ・クァンスク姉さんがテーブルに干しイカを、カプスニとソン・ウォルソンさんはカステラとパン、私は揚げ菓子を並べた。ヒョン・ミョンシルトンムは「私、何も持ってこなかった」。「いいんですよ、お腹だけあれば…」。また笑う。
ヒョン姉さんは食堂の売店で、パイナップルとオレンジジュースを買ってきました。皆で乾杯!
フルスピードで料理が出る。お盆がバタバタと六つ並べられ、スプーンと箸が、この日のオカヅは青唐辛子の煮つけが三~四つ、大根の浅漬け、豚内臓の煮つけと炒め、一二センチ位の青豆のチヂミ、水キムチ、赤飯、それに肉たっぷりの内臓汁、見ただけでお腹がいっぱいだ。
ヒョン・ミョンシル姉さんは「いつもこんなにたくさん? 今日は特別?」、パントンムは「いつもと同じ」。辛い物が食べられないかれは、ヤンニョム[朝鮮風香辛料]入っていないものを特別に頼んでいた。そういえばソン・イルホトンムも辛いのがダメだと言っていた。
パン・スミトンムは辛いのを食べると、汗ダクダク、下着までびっしょりになるんだって…。いつも持ち歩いている、長ネギ、ニンニク、味の素などで味付けしていた。ご飯がぐちゃぐちゃしていたのが残念だ。全部食べられない。残り物は、独り者のパン・スミトンムの夕飯と、言うことで持ちかえりました。
辛いものは食べていないはずなのに、よく汗をかくパン・スミトンム。コートを脱いで、背広を脱いで、ワイシャツのボタンを外して…。
先に出てきた女性軍は、「何やっているの?」、「一生懸命着ています」と言うので、またまた、大笑い。
食堂のお釣りで、写真を作ることになって、情報奉仕所に。お昼休みで閉まっていた。それでは烽火山旅館の写真館に向かった。コンピューターに写したら、写真がうまく写っていない! 大変だ! スマホのレンズが曇っているのではないかと。がっかり、もう一度解放塔に上るわけにもいかず。それでも写真が欲しい。それで凱旋門を背景に撮ることに、スマホのレンズをちゃんと拭いて、バス通りに行ってもう一枚パチリ!
そしてパン・スミトンムは走って写真館に、みんなは「烽火旅館はだめ…」って、追いつけず、凱旋映画館の階段に座り込み、女性たちは話が尽きない。
しばらくして戻ってきたパンメスミトンムは、「乙蜜台での写真はだめだったが…解放塔の写真は大丈夫だった」と、二枚ずつ配ってくれた。チョ・クァンスクトンムが足りない分、払ってくれた。
× ×
書き忘れるところだった。
パン・スミトンムも、ヒョン・ミョンシル、チョ・クァンスク姉さんたちも、イルウオッパの手紙[本誌52号34~35頁参照]面白かったって、それからキュラニも同 窓会の話[先輩たちの同窓会に参加して=本誌50号122~125頁に掲載]、よく書けたとほめてくれました。私が書いた同窓会の話、翌日、平壌を後にするシン・ギルン校長に手渡すために、ささっと書きました。オッパが手をつけてくれたおかげで、ほめてもらえました。
× ×
今日一日、楽しい時間を過ごしました。
「また一緒に」、「ありがとう」と、言って姉さんたちは散って行き、パン・スミトンムは「隊長役」を無事終えました。
二~三日して、コ・ファソントンムから電話が来ました。
オッパからの手紙届いたって。面白かったって、それからキュラニは同窓会物語をよく書いたって、感動したって。そんな話に気分がよくなり、牡丹峰での一日を書きました。書くって難しい。事実を並べただけではだめだし、エピソードをどう拾うか? それにしてもオッパの手紙はいつも面白い。
解放塔での記念写真、同封しますね。
◇ ◇
キュラニへ
「最近、たよりがなくて心配している」と、手紙を書いていたら、一一月一二付の手紙が届きました。
すぐ返事をと思っていたのに、あれやこれやで今日(一二月七日)になってしまいました。元気だということ、立ち退きになったアパートの入居が決まったというので、安心しています。
私の同級生と一緒に紅葉を見に行ったとの話、面白く読みました。キュラニの21期と私たちの18期の男女が一緒に紅葉狩り、日本ではそんなことを「合コン」というようです。
三日前は二四℃、昨日は一七℃、今日は一三℃、沖縄では三〇℃を超えたとか…冬の陽気ではありません。そこ平壌で初雪が降ったというニュース見ました。ここも来週は寒さが襲うとか、キュラニが嫌う冬の到来です。互いに健康に気をつけましょう。
キュラニも知っている新報社のロ・クムスン写真記者が一二月初旬、ソウルで写真展を開きました。「平壌が来る」、タイトルからして素敵です。この何日間、熱烈歓迎を受けたニュースです。どうせなら、情勢もいいことだし、記者協会とか、聯合ニュースとか、大手のマスコミと共催すればいいのにと思ったりもしましたが、反響は大きかったようです。
一九八五年の暮れに、南北赤十字会談の記者団として開城から板門店を通過してソウルに行った時とは、確実に時代は変わったようです。その時、宿舎になったウォーカーヒルホテルのレストランの女性従業員が私たちを見て、「角がない」と真剣に言ってことが思い出されます。動く北の人を見るのは初めて、政権による「民族異質化」が執拗に叫ばれていた時代、明洞の街を集団で見学に行っても、歓迎されることはありませんでした。ロ記者の活躍を見て、ふとあの年のソウルでの三泊四日を思い出しました。
先月二七日に荷物を送りました。船便なので正月には間に合いそうにありませんね。旧正月までには着くでしょう。
長男の嫁、ヨンスニが仕事に追われ会う機会もないとか…彼女の大好物のカレーのルーも入れました。カレーを食べに来いと言ったら、飛んでくるのでは? 二男家族も元気でいますか? 嫁とオモニが孫を誰が抱くか「争っていた」、昨年夏の大同江の川辺でのピクニックが思い出されます。
そこで人気のスパゲッティとケチャップ、正月用の餅も入れました。キュラニの原稿料代わりです。みんなにあいさつを伝えて、適当にわけてください。
新居は二二階とか、最近は停電はないと聞いていますが、引っ越しが大変そう。寒い日が続きます。みんなくれぐれも健康に気をつけて…。
二〇一八年一二月七日
兄記す。
追・いよいよ年明けから、東京第三の新校舎建設が始まります。旧校舎の解体は終わり、年初から建設に着手、そこの卒業生たちにも声をかけ、旧校舎での思い出と激励メッセージを送るよう、伝えてください。53
スポンサードリンク