在日朝鮮学校差別反対12次訪問団(2019.6)朝鮮学校を行く
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<訪問記>在日朝鮮学校差別反対12次訪問団(2019・6・5~9)
イム・ジョンウ (全北地域大学生キョレハナ会長)
金剛山歌劇団公演を観覧
「同胞のみなさん、アンニョンハシムミカ。金剛山歌劇団の初公演の夜をここ東京で迎えられたことを団員たちも心から嬉しく思っています。朝鮮半島の平和と繁栄、統一を願う全同胞の切なる願いに金剛山歌劇団の熱い気持ちを合わせて今日の公演をお送りします」
金剛山歌劇団の公演のオープニングのときめきとともに、私たちの訪問日程が始まった。私たち訪問団は、東京にある朝鮮学校を訪問して高校無償化適用のための金曜行動に参加するため、六月五日から九日までの五日間東京を訪問した。
「アリランの春」で始まった公演はわが民族の踊りと楽器の旋律であふれていた。初めて聞く歌だったが肩が自然に動いた。二時間ほどの公演が終わるとワクワクした気分で目頭が熱くなっていた。
観覧を終えて出てくると、朝鮮学校の舞踊部の生徒たちに偶然出くわした。東京朝鮮高級学校に通うという生徒たちは、自分たちもいつか金剛山歌劇団に入りたいと言った。私たちは数日後ハッキョでまた会うことを約束して会場を出た。
朝鮮学校(ここで朝鮮は分断前の朝鮮をいう。ウリハッキョともいう)は一九四五年の解放後、在日同胞たちがウリクル(朝鮮の文字)、ウリマル(朝鮮語)を忘れないために作った国語講習所から始まった。
解放当時、日本にいた同胞は二〇〇万人ほどだったが、(日本に)生活基盤がなかったり、日本の不当な帰国政策などによって約六〇万人に減った。そうして残った同胞たちが、最初にしたことが奪われたウリマルと歴史を子供たちのために取り戻すことだった。そうしてウリハッキョが日本各地に建てられた。
しかし日本政府は朝鮮学校を閉鎖し、生徒たちを日本の学校に編入させるなど弾圧を続けた。その過程に多くの同胞たちが負傷し、警察に引っ張って行かれ、生徒が銃弾を受けて亡くなる事件まで発生した。しかし同胞たちは屈することなくこれに対抗し、再び朝鮮学校を建てた。
日本政府は朝鮮学校を教育課程として認めていない。生徒たちは日本の生徒たちが使う定期通学券を買うことも、日本の公式体育大会に出場することもできなかった。チョゴリを着た生徒たちを的にした襲撃事件まで起こる始末だった。
今も日本の右翼集団は朝鮮学校の運営を妨害しており、安倍政府は高校無償化(日本のすべての高等学校の授業料を免除・支援する制度)から唯一ウリハッキョだけを排除して差別と抑圧を続けている。
解放直後には朝鮮学校が全国五〇〇か所に建てられたが、4・24教育闘争や閉鎖令などを経て、日本政府の厳しい弾圧の中で、現在は幼、初、中、高、大学を併せて六四校が運営されている。
このような厳しい中で闘っている同胞たちを力づけて、日本政府の差別に反対するために「ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会」が主催して「朝鮮学校差別反対 高校無償化適用のための12次金曜行動参加団」が朝鮮学校を訪問した。
12次訪問団には、ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会、全教組(全国教職員労働組合)、全北キョレハナ、6・15南側委員会、5・18民族統一学校など各団体の会員が参加した。
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東京朝鮮第一初中級学校訪問
訪問団は最初の日程として東京朝鮮第一初中級学校を訪問した。東京で最初に朝鮮学校が建てられた場所に第一初中級学校がある。
生徒たちはたいまつと旗を利用した体操で訪問団を歓迎した。続いて中級部生徒たちは巨大な朝鮮半島旗を掲げて私たち民族が再び一つになることを願う公演を見せてくれた。
歓迎式が終わってハッキョに入ると、興味を引くものがいろいろとあった。衛生室、更衣室など南側とは違う用語を使い、年間生活目標、分団決議文などを通じてウリマルと文化を生活化しようという活動を繰り広げているようだった。
舞踊部の公演で、子どもたちのほほえみや美しい動きに南の訪問団は感嘆した。最後に統一を願う子どもたちの合唱を聞くと感極まり訪問団はみな目頭をぬぐった。
東京朝鮮中高級学校訪問
翌日、訪問団は東京朝鮮中高級学校を訪問した。校門を入ると東京朝鮮中高級学校と一緒に建物を利用している東京朝鮮第三初級学校の児童たちが手を振って訪問団を歓迎してくれた。幼い子どもたちが手作りの歓迎の首輪を首にかけてくれて訪問団を案内してくれた。
校内には訪問団を歓迎する美術作品が階段や廊下のいたる所にかけてあった。初級部の子どもたちが歌を歌い踊りを踊ってウリマルを学び、大きな声で我先に発表しようとする姿がかわいかった。
初級部を過ぎて東京中高級学校に入ると、かわいいチョゴリとチマを着た女子生徒たちと健康そうな男子生徒たちが「アンニュンハシムミカ」と挨拶をしてきた。国語、日本語、英語、数学など様々な科目の授業を直接参観し、どんな教育を受けているのかを見られた。
南の高等学校のように授業中に居眠りしている生徒もたまにいて、笑いが出た。国語の時間には問題を解いて答えも発表し、一緒に授業を受けた。
一時間ほど教室を回って、日本の右翼団体はなぜ朝鮮学校を北側のスパイ養成学校というのか、理解ができなかった。明るい生徒たちの笑顔やふざける姿を一度でも見たら彼らの考えも変わると思った。
東京朝高で準備してくれたピビンパプで昼食を取って、本「コッソンイ」の作家たちと歓談会を持った。(「コッソンイ」は朝鮮学校に通う子どもたちの作文を編んだ本で、子どもたちの民族に対する愛や統一に対する願いを感じられる本だ。今年四月二四日に発刊された)
東京朝鮮中高級学校からは、一一人の生徒作家の作文が「コッソンイ」に掲載された。高級部二年のチェ・ヘリムさんが「統一はどこまで来たの」という作品を代表で朗読した。
チェ・ヘリムさんは昨年、南と北の首脳たちが板門店で会ったときにハルモニと一緒に手を取り合って喜んだ当時の感慨を文にした。
ヘリムさんは「いかに逆風が強くても屈することなく強い朝鮮民族の意志を受け継いでいるから、最後まで統一のためにがんばろう」といいながら言葉を詰まらせた。朗読を聞いていた訪問団も涙をぬぐった。
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西東京朝鮮第一初中級学校訪問
訪問団は東京の西側にある西東京朝鮮第一初中級学校を訪問した。同校の近くに朝鮮大学校と金剛山歌劇団の練習場や宿所がある。今回は訪ねられなかったが、近所から眺めながら次に必ず行こうと決心して、今回は第一初中級学校を目指した。
同校では朝鮮大学校教授から朝鮮学校の歴史と現在の状況について説明を聞いた。日本社会が朝鮮学校をなぜ弾圧するのか、どんな弾圧を受けてきたのかを聞きながら、悔しくて歯がゆくて複雑な気持ちになった。
その後、舞踊部と楽器部の公演と男子児童の独唱が続いた。
北の改良楽器であるソヘグムとピアノの糸をたたいて演奏するヤングムなどで構成された楽器部、セットンチョゴリと鈴の音の民族舞踊や貝殻がぶつかる音と舞踊が美しく結合した貝の踊り、男子児童の「アチムイスル(朝露)」独唱は、訪問団の心を潤わせた。自信にあふれた身振りや表情で公演する子どもたちは、公演を終えた後ははにかんで舞台を下りて行った。
子どもたちが下校した後、先生たちやオモニ会、朝鮮青年同盟の活動家と焼肉歓迎晩餐が開かれた。一緒に歌を歌い、私たちは一つなのだと感じた。最後に「ウリエ ソウォン(私たちの願い)」を一緒に歌って、必ず統一された祖国で再会しようと約束した。
文部科学省前で開かれた金曜集会と平和行進
朝鮮学校への差別を糾弾するために文部科学省前で開かれる金曜行動集会に参加した日は雨だった。集会には私たちをはじめ東京朝鮮中高級学校と朝鮮大学校の学生たち、オモニ会など百人以上の人たちが集まった。学生たちは毎週順番に金曜集会に参加するという。
雨に打たれながら「私たちはなぜこんな不当な待遇を受けなくてはいけないのか」と叫ぶ朝鮮学校の学生たちの姿に、涙が止まらなかった。これまでの歴史の過ちを償うどころかいまだに私たち民族に不当な弾圧を続ける日本に憤りを感じた。その被害を罪のない子どもたちが受けている事実が悲痛だった。
訪問団を代表して発言したパン・ヨンソン全北キョレハナ代表は、「来たのが遅すぎた、申し訳ない」と述べ「今回の訪問を通じて、日本の地で朝鮮人として生きることがいかに苦痛で、難しいことなのかよくわかった。厳しい条件のもとで命を懸けてウリハッキョを守ってきた同胞たちと、愛と献身で子どもたちを育ててきた先生たちに心からの尊敬と感謝のあいさつを送る」とあいさつした。
続けて「今年は3・1運動一〇〇周年の年だ。これまでの一〇〇年を振り返っても、私たちに代わって誰かが歴史を開いてくれることはなかった。私たちの力で、私たちの闘争を通じて勝利の道を切り開いてきた。朝鮮学校の存在がまさにその証拠だ。これから私たちが迎える新たな百年は、平和と繁栄、統一の新時代になることを確信する。その日のために南北海外八千万同胞が手を取り合ってともに前に進もう」と訴えた。
最後に「帰ってもあなたたちを忘れない。朝鮮学校の正義の戦いを南の同胞に広く伝える。みなさんの戦いを支持する人をもっと集めてまた来る」と誓った。
この日、訪問団は日本政府関係者と公聴会を持った。訪問団を代表して全教組ノ・ニョンファン副委員長が抗議書簡を日本当局に伝えた。書簡には「日本政府は在日朝鮮人への弾圧を中断して朝鮮学校にも高校無償化制度を即時適用しろ!」と言う内容が書かれている。全教組のチョン・ギョンウォン真の教育研究所長とパク・インスク弁護士が、朝鮮学校差別の不当性について論理的に鋭く抗議する発言をした。
文科省、外務省から四人の公務員が出てきた。一時間の対話の末、戻ってきたのはあきれるばかりの弁明だけだった。自分たちの歴史的過ちを反省しない政府の下で教育を受けてきた公務員たちは、自分たちの立場を全く理解できず、理解しようともしなかった。ただ「差別ではない」「既に決定されたことだ」というむなしい言葉ばかり繰り返した。目に見える結実を得られなかったが、オモニ会は「南側から来た同胞たちが差別の不当さを伝えただけでも大きな力になる」と述べた。
集会後、朝鮮半島と日本の非核、平和のための街頭デモをした。南側のKpopと「パウィチョロム(岩のように)」「アチムイスル(朝露)」「真実は沈黙しない」などの歌を歌って日本の夜の街を歩いた。南側の訪問団と在日同胞だけではなく、日本の多くの市民団体が一緒に出て、朝鮮半島と日本の平和を叫んだ。行進する間雨が降ったが、私たちの平和に対する熱望はいつになく熱かった。
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青山墓地参拝
訪問団は最後の日程で青山墓地の「無名戦士の墓」を訪問した。「無名戦士の墓」には、日本帝国の時期に反戦運動、労働運動などに参加して逮捕拘禁され、獄死または虐殺された愛国者たち、そして解放後4・24闘争の時に犠牲になった金太一さんをはじめとする朝鮮人のアイデンティティーを守るために闘って犠牲になった方の遺骨が埋葬されている。
墓地を参拝して民族のアイデンティティーやウリハッキョを守るために闘争して犠牲になった方たちの志を偲んだ。そして八千万同胞が一つになって平和統一のために全力を尽くすことを誓って日程を終えた。
日本政府は今までも過去の歴史を反省せず、認めなかった。日本の地には今も歴史の証人である同胞とウリハッキョがある。彼らは社会的偏見と制度的差別に対して苦しい闘争を繰り広げている。
日本の地でウリマル、ウリクルを使って自分たちの歴史を学ぶこと。それは再び繰り返されてはならない両国の歴史と南と北の痛ましい傷を癒やす道につながっている。南と北、海外同胞すべてが手を取り合って、白頭山から漢拏山まで自由に往来できるその日が一日も早く来ることを願いながら。
*ソウル発「統一ニュース」(6・12)からの転載。
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感想録:第12次金曜行動訪問団に参加した全国教職員労働組合(全教組)
訳:金栄愛
キム・ヒャンミ(光州)
朝、目が覚めて子どもの登校と出勤の準備をして、昨日と同じ日常が始まりました。娘の髪を結いながら「朝鮮の花としてあなたを咲かせたい」の歌を思い出します。車で通勤中、信号に引っかかるごとに見ていたスマホのインターネット記事の代わりに4・24教育闘争についてもう一度思い返しました。忙しく生きていると考えていた自分の人生が、どんなに平和でゆとりある生活なのか、振り返るようになりました。子ども達の熾烈な学ぼうとする思い、先生達の熾烈な教えようとする思いを感じてもう一度気が引き締まります。私たちの子ども達も未来の統一の担い手になれるよう、学習に精進するように最善を尽くして教えなければならないと再度気持ちを新たにしました。訪問期間中熱烈な歓迎に実は恥ずかしくもありました。これからもっと頑張れという激励だと肝に銘じます。
チョ・ギョンソン(釜山)
一番記憶に残る場面は、東京朝高のチェ・ヘリムさんの朗読「統一はどこまで来ましたか」と朝鮮大のキム・ヨンデ教授の歌です。弾圧と抑圧を受けながらも朝鮮民族の誇りを守り、一世のハルモニから祖国への愛を幾世代にも渡り、今の子ども達が自身の生として受け継いでいる姿に感動しました。教授の涙に、どんな気持ちで子ども達に対しているのか振り返りました。子ども達を心から愛して、我々の地で、主人としての生を歩むことができる力となってあげられているのかと振り返りました。
日常に戻るとこの数日間が夢のようです。日本での感動を今自分の居る場所で少しでも他の人達と共有し実践できるよう努力します。
リ・ヒョンスク(ソウル)
私も簡単に感想を述べてみます。ソウルで教師生活をしてきた過程で私は分断された祖国に住んでいると感じてはいませんでした。三泊四日のあいだこの現実を強く感じましたし、この思い出がこれからの私の教職生活で重要な羅針盤になると思います。思い出だけに留まらず行動が必要ですね。一番印象的なのは「出しゃばるな」。このような言葉は、在日朝鮮人社会では簡単に聞けないというキム・ヨンデ先生の話です。私もそのような言葉を聞いてきましたし、今も聞いています。私達の子どもと学生達に、このような言葉が浴びせられることを受け継がせてはならないと素直にそう思いました。また機会があれば金曜行動訪問団に参加したいですし、ソウルで毎週開かれている金曜集会にも行きたいと思います。
温かく迎えてくださった同胞の皆さん、教職同の先生達、ウリハッキョに通う子ども達、本当にありがとうございます。また12次訪問団を企画して行動を共にしてくださった「ウリハッキョと子ども達を守る市民モイム」同志達にも感謝を申し上げます。
チェ・ソンジョン(仁川)
今日、朝鮮学校を訪問した映像と写真を六年生の道徳時間に紹介しました。準備不足でしたが言葉と文字、歴史を学んで守っている学校の姿をもう一度見て涙が止まりませんでした。熱烈な歓迎に戸惑いながら、次は私達が招待するとしたらどうしようかと心配になりました。私は東京の中心で朝鮮学校差別反対を叫んでデモ行進したのが一番感銘深いです。これなんだ、と思いました。私達がすべきことを発見した気分でした。全教組が民族民主人間教育の真の教育を実践する組織だとすれば、朝鮮学校も民主主義民族教育をする場であり、共に連帯し闘争するのを繋げていかなくてはなりません。「朝鮮の花としてあなたを咲かせたい」の歌は歌う度に涙が溢れる歌です。苦労なさったオ・ジヨン先生と、関わってくださった先生方、そして教職同の先生達、ウリハッキョの子ども達、日本で闘っている全ての同志達に感謝申し上げます。
チェ・ムンソン(京畿)
認識不足から始まった訪問でした。しかし、認識不足は学校を訪問して同胞達に会って消えて行きました。そして民族に対する自負と、もっと早く来なかったことに対する謝罪の気持ちが込み上げて来ました。初日、バスの中で「朝鮮の花としてあなたを咲かせたい」という歌を聞きました。その時「学校に行けば見られるのに歌まで歌うのか理解出来ない」と思いました。しかし朝鮮学校を訪問して学校の歴史と状況を知り、それを守ってきた同胞のお話を聞いて何故そのような歌が作られたのか理解出来ました。そしたら土曜日この歌を聞いて知らないうちに涙が溢れて来ました。この感動を知らせたくて準備不足でしたが今日子ども達に朝鮮学校の歴史と在日同胞に関する授業をしました。このような授業をする先生が増えるよう努力しますし、朝鮮学校の高校無償化と統一を一日でも早く実現するよう努力します。
チャン・ジチョル(京畿)
帰る飛行機の中で三泊四日間に撮影した写真と映像をじっくり眺めました。自分でも知らずに涙が出ました。この期間に出会った子ども達の眼差しと私達を精一杯温かく迎えてくださった皆様に心の底から感謝の言葉をお伝えします。
前に読んだ「朝鮮学校物語」、「コッソンイ」からは感じられなかった感動と無念、怒りが一緒に込み上げて来ました。特に最後の日、キム・テイル少年が埋葬されている”無名戦士の墓”。情熱的に説明してくださったオ・ヒョンジン先生の話を聞きながら4・24はチェジュ(済州)4・3の延長線上にあり、南ではアメリカの覇権主義の強化のため、日本では我が民族を徹底的に抹殺するための事件であったと改めて知りました。文部科学省で公務員が「朝鮮学校無償化除外は差別ではない」と言った時、ペットボトルでも投げてやりたい気持ちでした。私達は一度聞いただけ、毎回聞いている同胞の気持ちは? 考えただけでも胸が痛くなりました。遠い日本で我が民族の精神と言葉と文字を守ってきた皆様、そして一時間以上かけて通学する子ども達。劣悪な給与でも使命感溢れる先生方。短い三泊四日でしたが本当に沢山の愛情を頂きました。私達全教組が何をするべきか、悩んで討論する時間を探して、少ない力ですが為になるよう役割を果たして行きます!
チョン・ギョンウォン(真の教育研究所)
民族の魂を守ってきた朝鮮学校訪問で感動したことを文字で表すのは不可能です。「統一はどこまで来たの?」を朗読したチェ・ヘリムさんの発言とキム・ヨンデ教授のお言葉を聞き、どうにもならない程泣いたのも、多分、頭の中から消えていた朝鮮半島がありありと甦り、祖国統一の夢をもう一度思い返したからだと思います。
想像してみます。時が流れて将来 我が民族の美しい情緒と魂は何処で探せるでしょうか? 過去の痕跡に私達は博物館で出会います。しかし、私はその多くを、朝鮮の美しさを、日本の朝鮮学校で観ました。在日本朝鮮学校で一生懸命に学び生活している学生達の姿から感じることが出来ました。そして先生達にも美しい朝鮮の魂を見ました。
厳しい現実に屈することなく民族の精神を守ってきた朝鮮学校の学生、学父母、先生達に尊敬と感謝のご挨拶を致します。清らかな子ども達の表情と抱負、そして元気あふれる姿を見て、祖国の未来は明るいに決まっていると希望を持つことが出来ました。
教職同の先生達にも深く感謝申し上げます。訪問した時間を振り返ると、その瞬間、瞬間が、ある詩人が言ったように「コッポンオリ(蕾)」のような時間でした。詳細につきましてはより長い文章でまた述べることをお約束して、私がここで出来ることを実践して行動に移す時、どこかの時点で私達が明るい笑顔で再会出来ると信じています。統一の里程標となり教壇で、現場で、もっと熾烈に叫びます。あまりにも貴重なご縁を結ってくださった全ての方々に深く感謝申し上げます。
ノ・ニョンファン(全教組副委員長)
真の「歓待」がどんなものか分かりました。訪問中 朝鮮学校の学生と先生達、オモニ会、そして日教組の先生達の愛情を感じました。朝鮮学校は依然として「日帝強占期」にあるのと変わらないと実感しました。朝鮮学校だけ高校無償化から排除して差別し、中級学校の補助金まで打ち切って、朝鮮大学校を弾圧し、認可取り消しを企んでいる事実を知りました。日本の軍国主義勢力と分断勢力が結託して朝鮮学校を抑圧していることがよく分かりました。
全教組を含む金曜行動訪問団が、朝鮮学校と同胞社会にこんなに大きな意味があるとは知りませんでした。一つの小さな動きが大きな支持と連帯を生み、流れになるということが分かりました。自ら”何をすべきか”と自問した短くも長い旅程でした。共に出来て幸せでした。56
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「第12回金曜行動参加団」の要請書
日本国 内閣総理大臣 安倍晋三様
日本国 文部科学大臣 柴山昌彦様
日本政府は在日朝鮮人への弾圧を中断し、朝鮮学校にも高校無償化制度を直ちに適用せよ!
「自らの言葉と文化、歴史を学び、友だちと一緒に笑う、そんな当り前の学校生活をすべて否定されたような気がしました。一体、私たちが日本社会にどんな悪いことをしたのでしょうか。朝鮮人に生まれ、父や母が朝鮮人らしく生きろと朝鮮学校に行かせてくれたのに、なぜ私たちだけがこのような差別を受けなければならないのでしょうか。」
これは、日本政府が高校無償化制度から朝鮮学校のみを露骨に排除し、在日朝鮮人への不当な差別を行っていることに対する朝鮮学校生徒の怒りの発言だ。
私たちもまた、日本政府と文部科学省にもう一度尋ねたい。
在日朝鮮人が日本社会にどんな悪いことをしたというのか?
元々、在日朝鮮人が日本社会に留まるようになった背景は何なのか?
在日朝鮮人が自らの民族教育を守ろうとすることは間違っているのか?
日本政府はどんな理由で、また何の権利があって、子どもたちの心に消すことのできない傷を与えるのか?
上のどの質問にも、きっと日本政府と文部科学省は堂々と答えられないだろう。
それは、在日朝鮮人が日本社会に留まる背景には日本の朝鮮への植民地支配と強制徴用があったためであり、謝罪と自浄なしに過去の過ちを葬り去ってしまいたいあなた方にとって、在日朝鮮人は存在そのものが邪魔なためだ。
2019年1月、スイスのジュネーブで国連児童権利委員会による第4回目の日本審査が実施され、2月7日に総括所見を公表し、日本政府に「高校授業料無償化制度の朝鮮学校適用するために基準の見直し」を勧告した。これは以前、国連の社会権規約委員会、人種差別撤廃委員会が数回にわたり日本政府に、朝鮮学校に対する高校無償化除外は「差別」であり、朝鮮高校に無償化を適用するよう勧告したのに次ぐものだ。にも関わらず日本政府は、法令に定めた審査基準に適合していないので無償化の対象にならなかっただけで民族差別ではないという主張を繰り返し、あまつさえ勧告には法的拘束力がないと図々しく居直ってきた。今回の総括所見は、朝鮮高校に制度を適用できるよう基準そのものを見直せと本質的なメッセージを発し是正を要求したものだ。
日本政府ははっきりと知るべきだ。
日本政府の在日朝鮮人への弾圧と右傾化の歩みは在特会など度を越した過激行動につながるものであり、日本社会の思考をも機能停止に陥らせるものだ。また、日本政府の相次ぐ軍国主義復活の試みは、自らを国際社会から孤立させるだろう。
東アジアの安全保障において新たな風が吹いている今日、北と唯一対話すら出来ないでいる安倍首相は、最近になって日本外しを憂慮し「前提条件なしでキム・ジョンウン(金正恩)国務委員長に会いたい」と表明した。
しかし、安倍政権は自ら対話を望むからといって、自ずと対話できるという誤算を捨て去らねばならない。日本が東アジアでの自らの立場を失わず対話に参加したいならば、また東アジアの真の平和と共存、韓日関係と朝日関係の望ましい進展を望むならば、過去の植民支配に対する深い反省と共に、まずは在日同胞への差別政策を撤回すべきだ。
- 日本の安倍政府と文部科学省は、日本の憲法、国際人権規約、国際児童権利条約に背く朝鮮学校への差別的措置を直ちに撤回せよ!
- 日本の安倍政府と文部科学省は、国連社会権規約委員会などの勧告に従い、一日も早く朝鮮学校の学生に差別なく高校無償化を適用し、教育補助金中止を促す通知を撤回せよ!
- 日本の安倍政府と文部科学省は、朝鮮学校の学生たちの教育権を侵害する一切の行為を打ち切り、学生たちを威嚇する「在特会」などの右翼団体に対して規制措置を取れ!
- 日本の安倍政府は、過去の植民支配に対する深い謝罪と共に在日同胞への差別政策を直ちに撤回し、朝日関係の正常化をはかれ!
2019年6月7日
ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会(韓国)
朝鮮学校差別反対! 高校無償化適用要求! 第12回金曜行動参加団一同
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国際オリンピック委員宛ての要請文
朝鮮学園を支援する全国ネットワーク(事務局長 藤本泰成)が六月七日、電子メールで、国際オリンピック委員会(IOC)委員九五人全員に送った要請文。
2019年6月7日
国際オリンピック委員会・委員
私たち「朝鮮学園を支援する全国ネットワーク」は、日本における朝鮮学校に対する差別を解消することを目指して活動している市民団体です。差別なき社会の促進を含むオリンピズムの価値を促進するための、国際オリンピック委員会(IOC)の日夜のご努力に心からの敬意を表します。2020オリンピックの主催都市及び国である東京と日本政府による朝鮮学校に対する差別の問題にご関心をもっていただきたく、この書簡を差し上げます。2020オリンピックの準備が進むなか、オリンピック精神に反する朝鮮学校に対する差別をなくすため、ぜひお力添えをお願いいたします。
1、差別されたベルリン五輪の金メダリスト・孫基禎氏
オリンピックにおける日本による差別をめぐっては、まず、ある朝鮮人のアスリートについて述べざるを得ません。
日本は1910年に朝鮮を併合し植民地としました。1936年のベルリン・オリンピックで、朝鮮人の孫基禎(Son Ki-jeong、1912―2002)というマラソン選手が「日本人」として優勝の栄誉を手にしました。孫氏は朝鮮・ソウルに凱旋しましたが、日本の官憲は、朝鮮独立運動が勢いづくことを恐れて、孫氏の身柄を抑え、歓迎行事や祝賀会を一切禁じました。孫氏は、その後、スポーツ指導者になろうと日本留学を志しますが、1937年にやっと明治大学が受け入れてくれるまで、受け入れてくれる大学が見つかりませんでした。しかも、日本政府は「ふたたび陸上をやらないこと」などを条件としたため、長い歴史のある「箱根大学駅伝競走」には出場できませんでした。
孫氏は1988年のソウル・オリンピックの最終聖火ランナーを務め、2002年のサッカー・ワールドカップ日韓共催の実現にも尽力されました。2002年11月15日にお亡くなりになり、ソウルで行われた葬儀には、世界からゆかりの人がはせ参じましたが、日本オリンピック委員会をはじめ、日本の体育・スポーツ界からは、誰一人参加せず、供花も弔電もなかったといいます。母校の明治大学が、同年12月21日、同大学で「孫基禎先生を偲ぶ会」を開催した時、ようやく関係者が足を運んだ、ということを付記しておきます。
2、ヘイトスピーチが、在日朝鮮人・朝鮮学校を直撃す
日本における在日朝鮮人に対する差別についてのより一般的な背景として、いくつか歴史的な事実をご紹介します。
日本は、1945年8月から1952年4月まで、米国に占領されました。占領軍のための報告書『在日外国人』は、次のように指摘しています。
「朝鮮人は、ほとんど例外なく社会的地位の低い明白な少数者集団である。彼らは、日本人に見下され、少なくとも一度、国家的災害が日本を襲った時にスケープゴートとなった。」(R&A Report No. 2690「在日外国人」1945・6、14頁)1923年の関東大震災をさしていることは明らかで、虐殺された朝鮮人は7000人余とされています。
2002年9月、当時の小泉純一郎首相が、日本の首相として初めて朝鮮民主主義人民共和国を訪問し、金正日総書記との間で「日朝平壌宣言」を調印しました。その際、朝鮮側は「拉致問題」について日本側に謝罪しましたが、日本では「朝鮮バッシング」が吹き荒れました。法務省人権擁護局が、「日朝首脳会談で拉致事件問題が伝えられたことを契機として、朝鮮学校や在日朝鮮人などへのいやがらせ、脅迫、暴行などの事案が報じられていますが、これは人権擁護上見過ごせない行為です」と異例の警告を発したほどです。
この傾向は続きました。2005年には『マンガ嫌韓流』が書店に並び、2009年12月には、レイシストが京都朝鮮学校を襲撃する事件が起きました。2013年の流行語大賞には「ヘイトスピーチ」がノミネートされました。2018年2月には、東京都心にある朝鮮総連中央本部に銃弾が撃ち込まれるテロ事件も起きました。
3、東京都による朝鮮学校差別、いまも続く
このような在日朝鮮人に対する差別の波のなかで、東京都は、2010年に、右派政治家の石原慎太郎都知事が、唐突に、東京にある朝鮮学校10校について、都からの補助金支給を停止しました。補助金は、都の「私立外国人学校教育運営費補助金交付要綱」によるところ、同要綱「別表」には、朝鮮学校10校を含む外国人学校28校が掲げられています。しかし、朝鮮学校側に何らの法令違反もなかったにもかかわらず、石原都政下で、理由も明らかにせずに、この朝鮮学校10校が明文で排除されました。そして石原都知事の後任者もそれにならいました。
朝鮮学校の生徒が、補助金から朝鮮学校を除外する東京都の方針について、以下のように書いています。
自らの言葉と文化、歴史を学び、友達と一緒に笑う、そんな当たり前の学校生活をすべて否定されたような気がします。一体、私たちが日本社会にどんな悪いことをしたのでしょうか。朝鮮人として生まれ、父や母が朝鮮人らしく生きろと朝鮮学校に行かせてくれたのに、なぜ私たちだけがこのような差別を受けなければならないのでしょうか。
朝鮮学校への補助金不支給については、様々な第三者の機関からも批判がなされています。2016年4月22日に東京弁護士会が、同7月29日には日本弁護士連合会が、それぞれ、学生たちの民族教育を受ける権利の侵害であるなどとして、補助金の支給再開を求める「会長声明」を発しています。また、4にて後述するように、国連・人種差別撤廃委員会もこの問題を是正すべきと勧告しています。
4、人種差別撤廃委員会、朝鮮学校差別の是正を勧告す
朝鮮学校に対する差別は、国のレベルでも続きました。日本政府は、公立高等学校の授業料無償化と私立高等学校等の就学支援金制度(高校無償化制度)を導入するため、2010年4月に法律を制定しました。43の外国人学校がその適用対象となっていますが、朝鮮高校10校のみが除外されています。
10校の除外について、2014年8月21日、日本政府代表は、人種差別撤廃委員会において、次のように説明しています。「朝鮮学校は、朝鮮民主主義人民共和国政府と結びつくある組織と密接な関係にあり、教育内容、学校運営、財政にその影響が及んでおり、指定の基準を満たしていないため、不指定とした。もし、その学校運営が法の定める基準を満たせば、これらの学校は就学支援金を受給できる」と(同委、議事概要)。しかし、この説明は、柴山昌彦文科大臣が、2019年3月19日に参議院文教科学委員会で、朝鮮学校は学校運営の適否にかかわらず、指定されることはないと答弁したことと矛盾しています。
人種差別撤廃委員会が2014年9月26日に発表した「総括所見」には、「委員会は、締約国がその見解を修正し、適切に、朝鮮学校が高校授業料就学支援金制度の恩恵を受けることができること、および、地方自治体に対して、朝鮮学校への補助金の支給を再開し、または維持するよう促すことを締約国に奨励する。委員会は、締約国がユネスコの教育差別禁止条約(1960年)への加入を検討するよう勧告する」とあります(CERD/C/JPN/CO/7-9、パラグラフ19)。
同委員会は、2018年の日本審査後の「総括所見」(2018・8・30)でも、「(パラグラフ5)前回の総括所見における複数の勧告が実施されていないことを懸念する」と指摘したが(CERD/C/JPN/CO/10-11、パラグラフ5)、日本当局は、「拘束力がない」として勧告の受け入れを拒んでいます。
5、朝鮮民主主義人民共和国オリンピック委、IDパス発行で差別される
今回の東京オリンピックの準備をめぐっても、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)に対する差別的な対応がありました。組織委員会(以下、組織委)は、各国オリンピック委員会(以下、NOC)に対し連絡用のエクストラネットにアクセスするためのIDを発行しました。ところが、朝鮮NOCにのみ約4か月遅延し、在日朝鮮人体育連合会が、再三再四催促しましたが、「技術的問題」との理由で引き伸ばされました。3月10日、共同通信社など報道各社がこの問題を報道し、「スポーツへの政治介入」との批判が出る中、組織委は3月12日、ようやくIDを発行しました。産経の記事によると、組織委は、朝鮮に対する制裁との抵触を懸念して政府と相談していたとのことです。ID発行の遅延によって、朝鮮NOCは、2月が締め切りとなっていた初期チケットの購入申請ができませんでした。このこともまた、朝鮮に対する差別を企図した政治的介入の一例であるとみられます。
6、結語
日本の有力英字紙Japan Timesは、「Students are not political pawns (生徒は政治的人質ではない)」と題する2013年4月12日付の社説において、問題の所在を的確に指摘しています。
「いくつかの地方自治体は朝鮮学校への補助金支給を停止した。2013年2月20日、安倍政権は朝鮮高級学校を高校無償化制度から除外した。これらの決定は撤回されるべきである。生徒たちを政治的人質として利用することは間違っている。生徒たちを利用すれば、日本における朝鮮人差別を煽るだけである」。
私たちの第一の目標は、①日本政府が、朝鮮学校を高校無償化制度の対象とすること、②地方自治体が、朝鮮学校への補助金の支給を再開することを実現することです。オリンピックの開催が、現在の政策を変更し、朝鮮学校に対する差別をなくす方向に向かうことの契機となることを期待します。この変化を実現し子どもたちに笑顔を取り戻すため、私たちは精一杯努力しますが、国際オリンピック委員会の委員各位におかれましても、この状況をご理解の上、東京と日本の朝鮮学校に対する差別的な政策への懸念を表明していただけますよう、何卒宜しくお願いいたします。
「オリンピック精神」に栄光あれ!
敬具
朝鮮学園を支援する全国ネットワーク(Japan Network Supporting Korean Schools) 事務局長 藤本 泰成
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