一人では解決できない
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梁聡子・社会学・ジェンダー/フェミニズム研究/在日朝鮮人人権協会性差別撤廃部会
もくじ
1.似ているようで違う社会制度と文化的要素
幼少の頃から、「自分はこの世界と『何か』が違う」と感じて生きてきた。おそらく、多くの在日朝鮮人は、同胞社会との距離とは関係なく、どのような時代を生きていても、どのような社会階層で生まれたとしても、どのような地域で育っていても、一度以上はこの感覚を味わってきたことだろう。私は日本社会が「常識」と考えていることや日本社会で「求められる」市民像とは異なる自分の立場や考え・振る舞いに思いを巡らせていた。最初に取り組み、解明できたのは、自分の置かれた立場だった。簡単に言えば「なぜ私はここにいるのか」であり、「なぜこのような処遇を受けるのか」である。この謎については、歴史・制度を丁寧に追っていくことで比較的早い段階で方法をみつけることができ、完璧ではないが、ある程度解けてきたように思う。
しかし、厄介なのは、その考え・振る舞いの文化的な要素の源泉であった。(ここで文化とは「朝鮮文化」のような目に見えるものだけではなく、「学校文化」「男性文化」など、目に見えないものも指している)この文化的な要素は、フェミニズム運動・ジェンダーを勉強して、最初にぶち当たる壁であり、今でも苦しんでいるものである。生まれた時から、現在まで空気のように吸い込んでいる文化的な要素は、知らないうちに、ふとしたときに、言動となってでてしまうのである。ジェンダー研究では、それを「女らしさ」「男らしさ」と呼びながらその解明を行っている。その象徴的なものがジェンダーによる「暴力」(身体的、精神的両方を指す)であり、特に、親しい人への「暴力」である。
2.在日朝鮮人と「暴力」
在日朝鮮人をテーマにし、日本社会の感性を奮い立たせた文学、映画などの作品によく「男性の暴力」が登場する。あまりに有名過ぎて書くのも照れるくらいだが、例えば『血と骨』『パッチギ』『Go』などが代表的だろう。そのためにある一部の人々の中では「在日朝鮮人と暴力」という奇妙な図式ができてしまった。
実態はともあれ作品が一人歩きした側面もある。しかし、少なくとも私の周囲では現実に「男性の暴力」が全くないわけではない。同胞女性・二世の話に耳を傾けると、同胞男性・一世、二世から「暴力」を受け、それに悩んだことを吐露する語りを聞く機会に出くわす。お酒を飲んで部屋のものを壊す夫、舅が姑に「暴力」を振るう姿、友達の色付きメガネの下に隠されたあざの訳を聞けなかった二〇代を悔やむ話、外でどなる交際相手の話など、エピソードは人の数だけある。私は、直接、同世代同士の露骨な暴力経験を聞くことはないが、グレーなものは今でも耳にするし、現在進行形の場合は、他者に言うことができないのかもしれない。そのため「時代が変わったから今はない」と言い切ることはできない。
私が、大学院のプロジェクトで、鄭暎惠さん(在日朝鮮人二世・社会学者)への聞き取りを行った時に、「女はこうあるべきである」とされている慣習から逸脱した言動を働いた時に、父親から受けた暴力について聞いた。書籍として発売されている箇所の語りを紹介しよう。
「(独自の在日朝鮮人の学生団体を)つくった時に、わたしは何もしらないのに、民族系の新聞に『文化部長鄭暎惠』と名前がでたの。それを父親がみて、殴る蹴るの暴力を私にはたらいた。『女が政治に関心持ってどうする』と言うので、ボコボコにされて、『家から出るな』と言って軟禁されたんです。わたしとしては、(民族問題や朝鮮半島と日本のことなど)わけがわからないことだらけで。自分はただ知りたいと思っただけなのに。」
( )および棒線は筆者が加筆。(鄭暎惠2017:208)注1
注1・「第9章 鄭暎惠」『ジェンダー研究を継承する後続世代がパイオニアに問うインタビュー集』、佐藤文香・伊藤るり編著、人文書院)
(この時に聞き取った、鄭暎惠さんのインタビュー動画)
実は書籍化していない部分でもたくさんの暴力に関することをお話しくださった。そのほとんどが、ジェンダーが要因であった。これは、鄭暎惠さんの特殊な経験なのだろうか?鄭暎惠さんのアボジが特殊で暴力的なのだろうか?もっと言ってしまえば、「朝鮮人は暴力的」なのだろうか?そうではない。特殊でもなく、朝鮮人の特徴ではないことを一番知っているのは、私たち在日朝鮮人である。ではどういうことなのだろうか?
3.ジェンダー視点からみる「暴力」の根源
では、なぜ、「親しい存在」(パートナー、友人、子どもなど)に最も卑劣な行為=(あらゆる)暴力をふるってしまうのだろうか。これらの問題に、世界中のフェミニズム運動、ジェンダー研究では、いち早く取り組み、現在でも最前線で取り組んでいる。そして第一に、長らくこの問題に、しっかりとした「名前」がなかった、「概念」がなかったことを提起した。今までは、「痴話喧嘩」「愛情表現の一部」「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」「善き人に育って欲しいためのしつけ」と片付けられていたことに、ドメスティックバイオレンス(DV)、デートドメスティックバイオレンス(デートDV)、児童虐待と言った名前・概念を作った。その上で、本人の特性や性格が問題なのではなく、社会のジェンダー構造、ジェンダー不平等の問題として、法整備や教育プログラムの充実をはかった。まだ不十分ではあるが、この取り組みは世界共通の流れである。国連の女性の地位委員会では、アジア地域で、まだまだこの問題で悩んでいる人は多いと報告している(CSW2018)注2。
注2・Commission on the Status of Women: (最終閲覧日2019年6月29日)
第二に、「暴力」の正当化の問題である。ジェンダー不平等に関する規範的な意識、言い換えれば「男は男らしく」「女は女らしく」が文化的に継承され、それから外れた言動とみなされると、親しければ親しいほど、「暴力」が発動する。「夫に刃向かったのだから殴られてもしかたがない」と殴った方も殴られた方も思うのである。また、ジェンダー不平等に関する社会的ルールや仕組みがあるために、そこに合わせなくてはならないとする意識が働くことで、その「暴力」を正当化するのである。もちろん、その意識から一足飛びに「暴力」へ行く場合とそうでない場合とがあり、法則やルールがあるわけでないことが厄介である。
多くの在日朝鮮人の場合は、「民族的ジェンダ ー要素と日本社会のジェンダー要素を自ら編み上げながら」(梁聡子2017)注3、それぞれの人生を歩んでいる。そのため、朝鮮人固有のジェンダー規範を内面化しているだけでなく、むしろ植民地時代、解放後日本社会に生きていく中で、身につけてしまった、日本社会が求めるジェンダー不平等的な価値観を内面化している。さらに、朝鮮半島全体が、長年、独立(統一)を阻まれる「暴力」にさらされ、個人には見える形/見えない形で抑圧された状況が継続している。そして何よりも、在日朝鮮人は日本社会から多様な「暴力」を受けている。知らないうちに「暴力」にさらされて、「暴力」を学習してしまい、文化的な要素であるかのように、諦めているのかもしいれない。または、知らないうちに、わたしたちは、時代の産物、個人の性格、民族の特性にしているかもしれない。
注3・梁聡子2017「複数の豊潤な感性を受け継ぐ在日朝鮮人女性」
【エッセイ・私たちの声】『月刊イオ』2017年1月号
4.個人の努力ではどうにもならない
では、この問題をどう解決したらよいのだろうか。性差別撤廃部会では、部会のメンバーだけでなく、参加者と性差別と暴力(ジェンダーと暴力)について様々な取り組みを行っている。ウリハッキョでは、その年代にあった、ジェンダーが原因となる暴力について出張授業を行っている。ハッキョでの取り組み、生徒たちの反応内容については、在日朝鮮人人権協会機関誌『生活と人権』、性差別撤廃部会ホームページ(だれいきhttp://dareiki.org)をご覧いただきたい。
ジェンダー不平等の改善、「暴力」を個人の力だけで解決することは不可能である。個人の特性や時代の責任にして、抑圧を放置し、解決へと変化を促す努力をしないことは、被害にあっている今の状態にたいして、傍観しているだけでなく、むしろ、強化していると思っている。実は、持って生まれたと思っていた価値観は生活しながら作られている。だとしたら、誰かの犠牲の上に立っている社会だと気がついたならば、いつでも新たな価値観を生活しながら作りだせばいい。気がついた人から、気がついた場所で、気がついたことから。そして、一人ではなく、仲間と共に。これがフェミニズム運動、ジェンダーの持っている類稀なる「力」である。
今日のオススメの本
佐藤文香・伊藤るり編著(2017)
『ジェンダー研究を継承する後続世代がパイオニアに問うインタビュー集』
人文書院
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