前が見えない時代、でも 「ウリハッキョがあるから」
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「同意したのに…」テレビから従軍「慰安婦」問題のニュースが流れた時の周りの日本の人たちの言葉だ。人間として女性としての尊厳をことごとく踏みにじられ、生死の境をさまよった被害者たちは今も引き続き日本政府の謝罪を求めている。ところが多くの日本人は被害者不在のまま「慰安婦問題を最終かつ可逆的に解決」したとした日韓合意が守られていないと非難する。被害者たちの人権はどうなるのだろう?
先日また、関連のニュースが流れた。サンフランシスコの「慰安婦」像が、民間団体から市に寄贈され、市が管理する公共物となった。これに対して姉妹都市・大阪市の吉村市長は、碑文に日本政府の見解と異なる表現があるなどとして、かねてサンフランシスコ市長に書簡で抗議し、寄贈受け入れに拒否権を行使するよう求めていた。今後は姉妹都市提携の解消に向けた手続きを進めるという。これを伝えるマスコミの論調はどれも「こんな像があちこちにできるのは困る」というものだ。リベラルといわれる女性の大学総長さえ「日本人の慰安婦もいた。国同士の問題というよりも戦争と女性の問題だ」などとコメントしていた。朝鮮半島での強制連行も強制徴用もそして「慰安婦」問題も、日本の朝鮮に対する植民地統治が発端だった。それを指摘する人はいない。
日本の多くの人たちは、二〇世紀前半、戦争に巻き込まれて大変な苦労をしたという。誰かが悪いのではなく、そういう時代だったのだという人もいる。しかし植民地とされ、生きるすべを求めて日本に渡ってこざるを得なかった一世や、「二等国民」とさげすまれながらも日本人であることを強要された二世、朝鮮が解放されたにも関わらず住居も借りられず、職にもつけず、あからさまな差別にさいなまされ続けた三世、そして今なお自分たちの言葉や歴史、文化を学ぶ権利さえ奪われ続けている四世ら、在日朝鮮人は自らのルーツを「時代だった」とあいまいにはできない。問題の根を一にする「慰安婦」問題に対する日本社会の反応は、われわれ在日朝鮮人に対する姿勢でもある。食事をしながら、お茶を飲みながら、そんなニュースが話題になったとき、隣の席からそんな話が聞こえてきたとき、少しドキドキしながら反応を見る。そして今の日本社会の中での自分の立ち位置を確認する。
在日朝鮮人だけではない、日本人も韓国人も留学先や海外赴任で同じような思いをすることがあるという。しかし日本社会での朝鮮人差別は特別だ。ほかの外国人学校には無償化が適用されても朝鮮学校だけは除外している事実を見ただけでも、それは明らかだ。朝鮮人への日本の制度的差別は類がないのではないだろうか。さらに日本で生まれ育った在日朝鮮人は民族学校に通わない限り、自分と同世代の在日朝鮮人と出会うチャンスがほとんどない。朝鮮に行っても韓国に行っても自分たちの文化について一緒に学んだ仲間がいない。いつもたった一人で、厳しい差別に対処するしかないのだ。
朝鮮学校や在日朝鮮人コミュニティとかかわりのある同胞たちは、今の状況について、マスコミとは違う見方ができる。自らのルーツについて学んでいるし、修学旅行などを通じて実際に朝鮮の人々と一緒に過ごした日々もある。何よりも心強いのは、一緒に考えたり、愚痴を言ったりできる同胞仲間がいることだ。「拉致問題」など朝鮮半島の情勢によって大小の揺れを経験しながらも、それでも私たちが在日朝鮮人であり得るのは、他でもない朝鮮学校があるからだ。
義務教育課程に歴史科目がないというケースを聞いたことがない。歴史は自分は何者なのか?なぜ今ここにいるのか?を教えてくれる。歴史を知って、自分という存在を客観的に受け入れることは、人生のスタートを切るうえで欠かせない課程だからだ。特に今のように在日朝鮮人をめぐる冷風が吹きすさぶ中、しっかりと地に足つけていくために、在日朝鮮人が自らの歴史や文化を学ぶことは重要だ。
日本社会は本当に変わるのだろうか? それまで私たちは闘い続けられるのだろうか?前の見えない現状に疑心暗鬼になることもたびたびだ。そんな時はいつも「ウリハッキョがあるから」と心を改める。日本政府の卑劣な差別にも、自分たちを「無償化世代(高校無償化制度から排除された世代)」と称し、弁護士として、教員として、同胞社会の礎として、在日朝鮮人の人権を守るのだと、切磋琢磨する若い世代がいる。彼らは自分たちの時代を的確にとらえ、自分たちのやり方でより良い明日を目指す手立てを考えている。在日朝鮮人は、理不尽な差別を避けえるために口を閉じ、目立たずに同化して消えていくような存在ではない。そんな彼らを育てる朝鮮学校は、常に支援し見守る朝鮮、応援する韓国の人々、寄り添う日本の人々のよりどころでもある。朝鮮学校という存在を、民族教育の価値を、次世代にしっかりと伝えていかなくてはと心に刻む。46
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