同胞たちの元気のエッセンスを 目指して
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一
九三七年七月に「日本少国民文庫」のために書かれた吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)が、『漫画 君たちはどう生きるか』(マガジンハウス)となって昨年一月に発売され四カ月で百万部の売れ行きを記録し、宮崎駿が制作中のアニメ映画のタイトルを、本作から取って『君たちはどう生きるか』にすると発表したという。さっそく購入した文庫版の帯にも「時代を超えて読み継がれるロングセラー百三十万部」の文字が躍っていた。
話は、旧制中学二年十五歳のコペル君とお母さんと叔父さん(母さんの弟)、そして三人の親友を中心に展開される。「コペル」は、主人公(本田潤一)に伯父さんがつけたあだ名で「地動説」を唱えたコペルニクスからきている。おじさんはコペル君に贈るノートの中にこう書いている。
コペルニクスのように、自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たちの地球が宇宙の中心にどっかりと座り込んでいると考えるか、その二つの考え方というものは、実は、天文学ばかりのことではない。世の中とか、人生とかを考える時にも、やっぱり、ついてまわることなのだ。
大学を出てからまだ間もない法学士の叔父さんは、コペル君が初めて下町の商店街に行って豆腐屋を営む貧しい同級生の家を訪ねたり、高輪の古風な洋館で友達の姉さんから聞いたナポレオンの話に胸を高鳴らせたり、様々な経験をするたびに豊富な知識とわかりやすい言葉でその経験の意味を説明してコペル君の視野を広げてくれる。
三学期のこと、親友の北見君が雪の積もった運動場で遊んでいた大勢の目の前で、上級生のリンチにあう事件があった。親友四人はそういう事態になったら一緒に殴られようと約束していたにも関わらず、コペル君は恐ろしい光景を前にすると身がすくんで、自分一人抵抗しないで傍観してしまった。その後取り返しのつかない後悔にさいなまれ、とうとう熱を出して、二週間ほど寝込んでしまう。この時叔父さんはノートにこう書いている。
…そういう苦しみの中でも、一番深く僕たちの心に突き入り、僕たちの目から一番つらい涙を絞り出すものは、自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまったという意識だ。…だからたいていの人は、何とか言い訳を考えて、自分でそう認めまいとする。しかし、コペル君、自分が誤っていた場合にそれを男らしく認め、そのために苦しむということは、それこそ、天地の間で、ただ人間だけができることなんだよ。
本書が最初に出版された一九三七年には盧溝橋事件が起こり、日中戦争が始まった。一九三一年の満州事変で日本の軍部がアジア大陸に侵攻を開始し、軍国主義が日ごとに勢力を強めていた時期。言論や出版の自由は著しく制限され、労働運動や社会主義の運動は、狂暴な弾圧を受けていた。少年少女の読み物でも、ムッソリーニやヒットラーが英雄として賛美されていた。
一方、当時の旧制中学校への進学率は六~七%に過ぎず、銀座のデパート、帰り道の自動車、水谷君の家での真っ白なテーブルかけとナイフやフォーク、銀のさじに正式なご馳走、お母さんが作ってくれたホットケーキ、オムレツにロシア菓子…など主人公や友達の生活の様子は、かつて私が日本人の仲間たちと勉強した庶民のくらしとは全く違う豪勢で優雅なものだった。
厳しい時代に一部の上流階級で、軍国主義とは相反する教養豊かな文化が息づき、それを何とか次世代に伝えようと尽力する人々がいたということには驚いた。しかしその内容は、今の時代の私にはどれも当たり前のことに思えた。
いま、時代風景が三〇年代に近づこうとしているという文をよく目にする。フィナンシャルタイムズのマーティン・ウルフは「これまでに、急激な(そして多くの場合は予想外な)経済の減速を引き起こしたものといえば何かー。金融危機、インフレの衝突と戦争だ。…総合的に判断すると、政治が経済に打撃をもたらすリスクは今、ここ数十年で最も高くなっているのかもしれない」(「日本経済新聞」一月十一日)と述べている。『君は…』のヒットは時代の空気の反映なのだろうか。書評を見ると多くの人が力を得ているようだ。
そんな時代、在日朝鮮人への風当たりはますます強まりそうだ。あまりに逆風が強いと、果たしてこれでいいのだろうか、もっとほかのやり方はないのだろうか、視野が狭くなっているのではないかと自問したくなる。そんなとき『君たちは…』が多くの人に元気を与えているように、本書が同胞や支援者たちに元気を与えるエッセンスになれれば幸いだ。著者の吉野源三郎の教養には遠く及ばないが、どうすれば民族教育の発展に寄与できるのか、今年も頭を絞っていこうと思う。47
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