朝鮮学校の良さ発信して連帯広げ、世論で敗訴覆そう
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法廷闘争だけでは道誤る
世論巻き込んで主張を
金九月に大阪高裁で前回の勝訴の判決が覆されました。
長崎全国で唯一大阪が昨年の七月二八日に勝訴して、あの時の喜びが皆にとって大きかったので、それを本当に安易な形で覆されたことへの怒りが抑えられませんでした。
前回の勝訴の時にいた子が敗訴の時にもいて、その子を見るのが一番つらかったですね。法廷の中では涙をこらえて、外に出て泣いている姿を見るとたまらなくて、不当判決が本当に許せなかったです。
一審で裁判官がきっちりと、民族教育が権利であるということ、国が教育基本法を持ち出したことに対して権力が介入することが不当な支配なのであって、民族団体がかかわることが不当な支配ではないと明らかにしていたにもかかわらず、それに対してきちんとした反論もなしに、国が「産経新聞」の記事などを根拠に主張していたことをもって、ただ総連がかかわるからということでひっくり返したことが許せなかったです。
金裁判当日の裁判所の周辺の雰囲気はどうでしたか?
長崎今の日本の状況を見た時に、司法が信頼できるかどうかという思いは当然あったと思います。ただ勝訴の時のあれだけの判決を覆すことができるのかという期待も打ち消すことができなくて。勝つというよりも勝ちたい、でもどうだろうか? あれだけの正義が通ったのだから、覆されるはずがない、という気持ちで揺れていたと思います。
金一度喜びを味わっただけに失望も大きいですよね。その後の火曜日行動は変わりましたか?
長崎翌日の火曜日行動の中で敗訴に対する怒りは出ました。これで心が折れたり、私たちがあきらめたりしては、絶対ダメだなと。朝鮮高級学校の生徒たちが、私たちが「ごめんなさい」と謝ったことに対して、「ごめんなさいと謝らないでください、前を向いていくんだから」といったことが本当に心に刺さって、子どもたちにそういう思いをさせているんだから、大人たちが絶対あきらめるわけにはいかないねと。私たちが、これを覆すような世論を湧き起こしていかなくてはいけません。
金全国的に見ると負けが込んでいますよね。本当にコーナーに追いやられている気分です。
長崎一〇月の東京高裁の判決も大阪と同じように、いったん国が省令を削除しておきながら要件にあわないというのはおかしいじゃないかと、勝訴への期待を抱かせておいて、それはそれと。結局はそっくり大阪と同じ、総連との関係に落とし込めるというかたち。朝鮮学校の子どもたちが日本で反日スパイとして活動しているとでもいうのですかと、彼らもちゃんと納税しているんですよと言いたい。貢献させて、税金は搾り取る、けれど一切の権利を認めないという。
金愛知も四月に負けました。去年の夏には広島が負けました。今年九月の大阪に次いで東京では二回負けています。今後裁判闘争を続けるにしても、ちょっと立ち止まって考える時期ではないでしょうか。
長崎法廷で闘わざるを得なかった、でも唯一法廷闘争だけということになると、私は道を誤ると思います。「慰安婦」問題もそうですし、水俣問題もそうですが、あったことを消していく、歴史を変えていくということに対して存在を主張する、見える形で発信していくことが大切だと思うのです。同時に、一緒に生きていく社会を作っていった方がみんなにとっていいのだということ、共生社会というのは教科書に載っているお題目ではなくて、本当に必要なものだということを発信していかなくてはなりません。これから必要なのは、朝鮮学校の持っている素晴らしさを発信していくことです。多文化共生というきれいごとの言葉ではなく、本当の意味で日本が、朝鮮への植民地支配の歴史を、戦後の負の歴史を見つめて、変えていくことが必要だと、世論を変えていく闘いを構成していかないとダメではないかなと思います。
大阪地裁の勝訴の判決は残るので、司法の中での良心として意味があると思います。でも今後最高裁の結果次第ですべてがダメになるとしたら、運動はできませんから、裁判闘争だけではない、世論を巻き込んで繰り広げる闘いが大切だと思います。
朝鮮学校だけが生きにくいのではなくて、すべての人が生きにくくされているという横のつながりをしっかり築いて、格差と貧困が広がっていくような流れにノーという人たちがもっと朝鮮学校の問題をリンクさせて捉える、一部の良心的な日本人が朝鮮学校問題に取り組んでいると言うのではなくて、もっとつながる運動にならないかなと思っています。
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